2013/05/01

<เล่ารัฐประหาร>กับ <ทำรัฐประหาร>


<クーデターを語る><クーデターをやる>

タイの首相で初めてモンゴルを公式訪問していたインラック首相は2556年4月29日モンゴルの首都ウランバトールで開催された民主主義共同体会議でタイの民主主義について演説した主な内容は次のとおりである。

アセアン宣誓においては民主主義と法律に則した民主主義憲法のもとで政府はあるとしているが、現在においても民主主義に反対する勢力が引き下がることなく強力になっていることを警告すると共に私自身の例を上げて先例としたいと考えます。2540年にタイは国民が参加した新しい民主主義憲法を発布して新しい民主主義の時代が到来してクーデターは過去のものと思っていましたが、予想もしなかったことに2549年には国民から2度にわたり選ばれた政権が列車が脱線したようにクーデターにより倒され10年間の自由は消えてなくなりました。願わくば私の家族が被った痛みと政治上の被害者の家族が被った痛み、それに加えて2553年の騒乱で亡くなった99人の犠牲者の痛みが二度とタイで繰り返されなように願っています。

これまでは政治に対する発言を控えていた首相であるが民主主義共同体会議で演説する事項は民主主義についてでタイの民主主義に触れるなら現況の混乱の原因となった2549年のクーデターで兄であるタクシン元首相の政権が一夜にして倒されたことを語らずを得なかったのであろう。この演説に対して賛成する意見ではやっと首相が政治論争の表面に出てきたという見方があるがそれはどうであろう。また現在の政権が成立したのは民主主義ではない方法で成立した民主党アピシット政権に反対するデモの犠牲者のおかげであると言明したことだろう。この演説に対する反対は海外においてタイのイメージを傷つけたを筆頭にいろいろとあるが、クーデターによりタクシン政権が倒されたという事実は海外でも知られていることで、事実を話してタイのイメージを傷つけたというのは論外の反対論である。他にもいぜんと現状が見えない保守派クーデター支持派の新聞はこれとばかりに国民に人気がある首相を引き落とそうと懸命のようである。

もちろん民主党アピシット党首も反対していて国内で起こっている憲法改正問題や諸問題で外国に理解してもらい協力を得ようとしているもので、もしかするとこれは事実なのかもしれない。というのはインラック首相は2年間の任期中に議会から逃亡していると言われながらも海外に20回以上も行っているからだ。これは海外でタイにおける初めての女性首相であることを認めてもらい、もしいざクーデターが起こった時ははっきりとした拒否表明をしてもらうためのような気もする。その他の反対意見では民主党報道官チャワノン・イントラゴーマーンスット下院議員というなかなか学歴だけはりっぱだが国民と民主主義が理解できない民主党員の代表ということでこの人の反対意見書いておく。「クーデターが民主主義でないというのは誰も賛成するものはいないだろう」この発言が民主党の基本で彼らがこのような考えを持つ限りにおいて未だに民主党を支持する国民の何割は同じ考えであると考えるとまだタイからクーデターがなくなるということはないのかもしれない。


0 件のコメント:

コメントを投稿