2012/04/30

<นโยบายเร่งด่วน>


<緊急の政策>

2554年8月にインラック政権が発表した初年度における緊急の政策は16項目あり、その中の16番目は次のとおりである。
16.เร่งรัดและผลักดันการปฎิรูปการเมือง 政治改革を急いで推し進める。
この政治改革こそが新しい国民憲法を作っていくことで、2月には閣僚案、下院の与党議員案、チャートタイパッタナー党案の3案が国会に提出された。3案共に2550年憲法の291条を改正して憲法草案議会を立ち上げることでは一致していたようである。2550年憲法は291条において一部の修正しか認めていず憲法草案議会を立ちあげて新しい国民憲法を作るには291条の改正が必要なようである。

291条3 改正動議は改正憲法案として提出しなければならず、国会が三読会にわたり審議する。

しかしこのやり方が正しいのかどうかは、最後に行われる国民投票で判断されるのかそれとも国民投票の前に憲法裁判所が判断するのかどうなるのだろう。2550年のクーデター憲法を作った人たちはいずれはこの憲法が破棄されることを予想していたと思う。故に291条という解釈しにくい条項を入れたような気がする。

いずれにせよ国会では賛成399、反対199で291条の改正はとおり、プアタイ党のサーマート・ケーオミーチャイ委員長のもとプアタイ党議員19人、民主党議員11人、プームチャイタイ党議員2人、パランチョン党、チャートタイパッタナー党、チャートパッタナー党各1人、上院議員選挙選出7人、上院議員任命選出3人の合計45人で憲法改正草案検討委員会ができた訳である。そして委員会が作成した291条の改正案の論議が国会における第2読会で続いていて民主党と一部の上院議員が反対の修正案をだして論議をしているところである。来年には出来上がる新しい国民憲法であるがどのような憲法ができるかは今のところ分からないが与党が省きたい2550年憲法でのおもな条項は次のとおりである。

111と114条 上院の任命について
206条 有識者判事の選出
237条 政党幹部が関わった不正選挙による解党
265条 国会議員の禁止行為
266条 国会議員の干渉禁止事項
309条 クーデタ体制下の施策に対する訴追不可


2012/04/27

<รดน้ำดำหัว>กับ<รดน้ำเถ้ากระดูก>



<ロットナームダムフア><遺灰に水を注ぐ>

4月26日、バンコクのシーサオテーウェートにあるプレーム・ティンスラノーン邸に首相と3人の副首相が訪れソンクラーン新年の議式の一貫であるダムフアがおこなわれた。この儀式は密教にある灌頂によく似ていて師が弟子の頭に聖水をかける儀式である。ソンクラーンはインドから来た習慣なので仏教の儀式のようにも思われるが、キリストがメシアという意味で元来は頭に油を塗られたものが王になったというのが救世主の意味になったことを考えると、この習慣はインドとユダヤとともにメソポタミアから始まった習慣という気がする。今回のダムフアは進み始めているプローンドーンをより押し進める行為のようである。

一方、赤服集会があったラーチャプラソーン交差点では、この時の集会鎮圧の犠牲になったガモンゲート・アッカハート看護師ボランティア、通称ノーンゲートの27才の追悼誕生日集会で母親のパヤオ女史はノーンゲートの遺灰に水を注ぐ仏教の儀式をやっていた。ノーンゲートは赤服集会には直接の関係はなかったが、看護師の仕事をやっていたのでボランティアとして2553年5月19日の集会鎮圧の時にはワット・パトゥムワナラームで鎮圧で負傷した集会参加者を助けていた。そして夕方の赤服集会解散宣言で集会が終わったあとワット・パトゥムワナラームで他の参加者5人とともに射殺された。事件から2年という時が過ぎているにもかかわらず事件の調査は30%しか進んでいないということである。集会における声明では政府が推進するプローンドーンには賛成だが、集会の鎮圧を戦争兵器を使用して実弾を使うという司令を誰が出したのか、その指令者をプローンドーンという和解案に入れるのは反対だということである。タクシン元首相のプローンドーンでは、すべて忘れてしまいましょう、ということでカンボジアでの集会以来は政府も法案作成に向けて力を入れているようだが、確かに2549年のクーデターから数えるとタクシン元首相の海外生活は6年目に入り早くタイに帰国したいという気持ちはわかるが、ここで慌てて集会で亡くなった91人の犠牲者の気持ちを無視してプローンドーンを推し進めていくと赤服との関係にもヒビが入るような気がする。


2012/04/25

<ส.ส.กดบัตรแทนกัน>


<代理投票議員>

このタイトルも直訳では分かりにくいので意訳としました。4月24日で7日目に入った国会における憲法改正論議であるが、24日は291/5条の論議で..3憲法草案議会議員の各県から1人の議員を選ぶ選挙を取り仕切るのは選挙委員会で、使う法律は2540年の上院議員選挙法ということで決まった。また選挙で不正があった場合は、15日以内に選挙委員会に訴え選挙委員会は30日間で検討して訴えを受理する場合には、最高裁判所選挙訴訟部が判断することになった。

291/5の論議には7日間のうちの3日間をかけたようである。これだけの時間がかかるのは憲法という国家と国民にとって一番大事なルールで各議員が慎重になっていることもあると思うが、与党による国会での多数を使った早急な決議を恐れる野党民主党が論議を引き伸ばしているのは事実だと思う。そして民主党の主張を聞いていると国会での憲法改正論議は支持者である国民の手前はやらざるを得ないが、この憲法改正はいずれは憲法裁判所でクーデター以降は不公正な判断を繰り返し続けている司法勢力により憲法違反ということでひっくり返ると思っているようである。

また24日の国会での論議ではローサナー・トーシトラクーン上院議員から決議の際に与党側議員による代理投票があったとしてこれまでの決議はすべて無効であると主張している。ローサナー上院議員はバンコク選出の上院議員でパンタミット派である。おろらくこのタブレットの写真を使った非難は、この前に民主党の若手議員が国会論議中にスマートフォンを使ってポルノを見ていたことに対する反対側からの政治ゲームだと思う。またローサナー上院議員はパンタミット派でもわかるように2550年憲法の破棄には絶対に反対なようで、いまだに2550年憲法を破棄する前に国民投票をすべきだと主張している。民主党も含めてこのような主張をする人たちは2549年のケーデターでそれまでの2540年憲法が数秒で破棄されたことをどう考えているのだろうか。
新しい国民憲法を作る過程で国民の代表である国会議員が論議に時間をかけるのは当然のことだろう。いままでのタイにおける政治集団の動きを見ていると、今のところ国会外での行動があまりないのは望ましいことと思うが、反対に国会内で国民を失望させるようなゲームはやめたほうがいいと思う。また今回の新しい国民憲法には、クーデターによる憲法破棄を禁止するという条項が入るのかどうか楽しみである。


2012/04/22

<ผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็น>

<紅茶知事>

4月21日の夕方のテレビニュースと22日の新聞にもパンタミットの集会のニュースはなかったのでおそらく消え失せたのだと思っていると、INNNEWSだけにニュースが出ていて200人は集まったようである。当初は10万人の集会と発表していたが次の日には1,000人と急激に減っていたし、それ以上に人数が減ったのはパンタミットの中心人物が集会には関係ないと発表していたのが理由かもしれない。また10万人の集会をバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するという発表があった次の日には陸軍司令官そして国防大臣と続けて記者会見をしてパンタミットまたいかなる政治団体にも陸軍の施設を使わせることはないと発表していた。そして陸軍クラブ前には“ここは政治集会を支援する施設ではない”という看板もでていた。そのようなことで21日のパンタミットの集会は陸軍クラブ施設の外で開かれたようである。今回の集会はもちろんパンタミットの利益につながっているクーデター憲法を破棄して新しい国民憲法を作成しようとしている政府に反対している訳だが、この先の反対集会がどれだけの規模になっていくのか注目されるところである。

おそらく今回の陸軍クラブにおける集会は、パンタミットによる陸軍への問いかけであると思う。果たして陸軍は憲法改正にどこまで中立なのか、また選挙で負け続ける民主党を2551年のように政権につけるようなことをする意志があるのかを問いかけたのだと思う。しかし陸軍クラブの使用を拒否されパンタミットの中心人物はすぐにこの集会には参加しないことを表明したのだと思う。一方、陸軍の方はパンタミットという政治団体が施設を使用することで陸軍司令官と国防大臣が出てきて拒否したのも不可解で、本来は陸軍報道官が発表すればいいことだったと思う。この件につながるのは21日のソンティ・ブンヤラットクリン議員の記者会見だと思う。この和解達成に向けての記者会見において議員は、現在の国の機関において右向けの命令に対して左を向くทหารแตงโมスイカ軍人やตำรวจมะเขือเทศトマト警官が出始めていると嘆いている。おそらくは陸軍司令官はスイカ軍人を考慮して素早く拒否の発表をしたのだろう。またソンティ・ブンヤラットクリン議員は各県の知事にもผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็นが出始めていると指摘しているが、このชาเย็นは紅茶なので赤服の知事ということだろう。


2012/04/21

<เสียงข้างมากลากไป>

<多数派が引きずっていく>

4月18日にプラアーティットにあるパンタミット事務所での会合で北部パヤオのチュムポン・リーラーノン調整役が発表した21日にバンコクの陸軍クラブにおける集会には、パンタミットは参加しないことを表明するとともに、現在国会で憲法改正を論議している上下院議員416人を不正な憲法改正をしているということで、この26日には最高検事局に訴え憲法裁判所で判断するように訴えるということである。いずれにせよこの会合にはパンタミットのソンティ・リムトーンクン氏を始めとする中心人物が不在で組織内部で何かが起こっていることは確かだろう。また集会を開催しないのは動員力不足か資金不足が影響しているのだろう。そして人が集まらない集会に賭けるよりは、より確率が高い司法権力に賭けて憲法改正阻止そしてプアタイ党の解党を狙っているのだろう。
また司法勢力もどのような案件でプアタイ党を解党に持っていけるか勉強しているのであろう。今年中に帰国すると言っているタクシン元首相が帰って来る時にパンタミットが万単位の集会が開けるのかどうかで、この組織の状態がわかってくるだろう。

一方、国会は朝から夜中まで憲法改正論議をやっているが、今のところ憲法草案議会議員の人数と資格を論議している。憲法草案委員会が提案しているのは、各県から選挙で選ぶ議員1人で合わせて全国では77人と国会が選ぶ専門家22人で合計で99人である。上院と民主党からは各県1人というのは不公平で120、150、200人等の意見が出ていた。民主党の推測によると与党が幅を利かせている県が54県あり、これに国会では与党が多数決で与党よりの専門家22人を選ぶとすると憲法草案議会は与党の思いのままになるということである。民主党はこの状態を多数派が引きずっていく、多数派による独裁だと主張している。
しかし各県で選ばれる一人の議員がどのような考えを持っているか、また憲法、法律、政治の専門家がどのような考えを持っているか分からない状況で多数派に引きずられるという主張は的確ではないと思うし、憲法草案議会が240日を使って草案を作成する間には国民からいろんな意見が出るだろうし、これらの議員はタイ国民で新しい国民憲法を作ってタイを良くしたいと願っているのは確実だと思う。


2012/04/19

<สมัยประชุมสามัญนิติบัญญัติ>

<通常立法国会>

2554年12月21日に開催された通常立法国会は4月18日に終わる予定であったが、憲法改正案が提出され野党による激しい反対があり延長ということに決まった。現憲法は2549年にタクシン元首相を追い出した旧権力の意向によってできた憲法で、新しい国民憲法を作りたいという国民の願いは2553年には集会の鎮圧で91人の死者を出し、2554年には憲法改正を選挙公約にしたプアタイ党の勝利につながっていった。
今日18日の第2読会では憲法草案委員会の憲法草案議会議員99人に対して野党と上院議員から150人、200人等の修正案が出されていた。この2月25日に憲法改正動議が賛成399、反対199で国会を通過したのを受けて、野党民主党はハジャイにおいて党大会を開催し国会と国会外において新しい国民憲法に反対していくという決意を表明していた。しかし国会外での反対集会は今のところなく国会においてもいろいろな戦術で論争に時間はかかっているが、修正動議を出すところを見ると流れとしては新しい憲法ができるのも確実で91人の犠牲者も無駄にはならなかったのかなと思っていると、久しぶりにパンタミットという名称がニュースに出てきた。

クーデター憲法とクーデターを拠り所にするパンタミットとして新しい憲法ができるのには絶対に反対で4月21日に全国から10万人を動員してバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するということである。そして政府が新憲法案を引っ込めない限りは集会を続けるということは、2552年のように首相府占拠そして空港占拠を狙っているのか悪夢がよみがえるのかと心配していると、次の日にはパンタミットのパーンテープ・プアポンパン報道担当は自身のfacebook上で21日の集会はパンタミットとは関わりがないと声明を出していた。では21日の集会は誰がやるのかよく分からないところである。分裂しているのか動員力がなくなっているのかパンタミットのWEBも停止している状態では21日を待つしかないようである。


2012/04/18

<ตัวแทนอำพราง>

<隠し名義人>

タイという熱帯国はもの成りのいい国でコメというものは、土地があり水があればモミを撒けばできてくるものだと考えられていたと思う。これまでの政府もコメの価額と買い上げ方をどうするかという政策はやってきたが、米を作る人たちすなわち農民、土地、水、コメの種類等については真剣には取り組んで来なかったと思う。ここに来て農地確保の政策立法を始めようとしているようだが手遅れという説もある。調査によると高級ホテルに適した土地を始めとして大規模農地までが違法な隠し名義人を使って外国人に買われていて、その規模は国土の3分の1にもなるということである。違法な隠し名義人を使った土地の購入には次のような方法があるということである。

1,結婚したタイ国籍の人に土地を購入して維持させて外国人のものとする
2,タイ国籍の人に土地を買ってもらい、その人から土地を借りる契約を作り外国人のものとする
3,タイ法人会社を作りタイ国籍の人に株を所有してもらうが実際は外国人のものとする

また、このもの成りのいい国でのコメの面積あたりの収穫量を見てみると459kg/1ライ(面積の単位は1ライが1,600㎡)で、たとえばアメリカの1,270kg、韓国1,216kg、ベトナム836kg、インドネシア799kg、ビルマ653kg、ラオス576kgフィリピン574kg、カンボジア453kgでタイはカンボジアとほぼ同じである。カンボジアもまたもの成りのいい国で稲穂が出るころに田んぼに立つと稲穂が大きくなる音が聞こえると言われているほどである。面積あたりの収穫量が増えることは面積あたりに使う費用が減ることになり、農民の収入が増えていくことにつながることを考えると政府はモミの買取価額と買い上げの方法の改良だけではなく、もっと基本的なことから時間をかけて農民のことを考えないと、今年のコメの輸出が600-700万トンと昨年の900-1,000万トンより大幅に減っていくという数字に現れてくるようにいずれはコメ輸出量第1位の地位をベトナムに譲り渡すのも遠い未来ではないだろう。


2012/04/17

<ส.ส.ร 3>

<สภาร่างรัฐธรรมนูญ><憲法草案議会>

先日、Voice TVを見ていると久しぶりにソムキエット・オーンウィモン先生が出ていて今、話題になっている新しくできる憲法草案議会にぜひとも参加したいという熱い思いを語っていた。ソムキエット・オーンウィモン先生は政治学とマスコミ学の先生であるとともにテレビ、ラジオの番組を改革して新しく時代にあったものにした人でもある。2539年にできた初めての憲法草案議会に地元のスパンブリーから選出されて2540年憲法作成に参加してる。今回の憲法草案議会に参加する目的は、現在の2550年憲法がクーデターによってできた憲法で作成時に国民の参加がなく魂がこもっていない憲法なので、新憲法は2540年憲法のように幅広く国民の参加と意見を求めて作成していきたいということである。2540年憲法では各県で選ばれた議員が広く意見を聞きまわり集めた意見書は100万件になったということである。また現在も使われている選挙を管理する選挙委員会はソムキエット・オーンウィモン先生が長く勉強をしてきたインドにあった選挙委員会をタイに導入したということである。

2475年の立憲革命以降、タイでは18の憲法ができている。多くの憲法はクーデターが成功した後に前もって作成していた新しい憲法を使っている。しかしそれも2534年のクーデターから翌年の残酷な5月事件からは、憲法草案議会を立ちあげてから新憲法を作成している。これまでの憲法草案議会は次のとおりである。

..
2539年バーンハーン政権のもとで民主主義と汚職議員の排除等の政治改革が必要だと考える国民及び各活動グループの要求で成立。憲法草案議会の議員は各県から選出される76人と教育機関が推薦する学者23人で構成される100人でウタイ・ピムジャイチョンが議長になり2540年の憲法は成立した。
..
2549年クーデターを起こした国家安全保障評議会(คมช.)により任命される各職業部門からの代表、政府28人、民間27人、社会活動奉仕団体28人、学者22人で地方別では北部10人、中部68人、東北部12人、南部10人の100人で構成され2550年の憲法は成立した。
.. 3
2556年には成立すると考えられている新憲法で国会では憲法草案検討委員会の検討結果の第2読会に入っている。


2012/04/15

<ช่างแม่มัน>

<放っとけ>

4月14日にカンボジアのシアムリアップで開催されたソンクラーン新年で国境を超えてやって来た約5万人の赤服を前にしてタクシン元首相はビートルズの名曲Let it beの部分をタイ語にして歌っていた。おそらくはタイ国内で問題になっている和解案と憲法改正案で民主党が強硬に反対していることに対してช่างแม่มันと言っているのだと思う。舞台上にいた3時間は久しぶりに支持者に囲まれタイラックタイ党のときの集会を思い出していたのではないだろうか。それを皮肉るようにナタウット・サイグア農業副大臣はここはシアムリアップではなくサナームルアンのようだと表現していた。しかし進行する和解案に遠慮したのか舞台上では演説はなく歌と踊りで終始したようである。タクシン元首相は何曲か歌ったがสามสิบยังแจ๋วMy Wayを力を入れて歌っていたようである。

また夕方6時ころに舞台に上がったタクシン元首相はジャトゥポン、ナタウット議員と初めて出会うということを言っていたが、ジャトゥポン、ナタウット議員ともにクーデターが起る前の最終の頃のタイラックタイ党に入っているのでタクシン元首相とは出会っているはずで、タクシン元首相が言いたかったのは、このような集会で出会うのが初めてだという意味だと思う。
この二人を含めた13人の赤服がプアタイ党所属の国会議員になったことは、赤服の勢力拡大を助けているだろうし、国境を超えてきた5万人を見てもわかるように赤服の団結力がプアタイ党を助けていることは前回の選挙を見れば明白である。そして旧権力にとって予想外であった赤服の拡大がクーデターへ踏み切る決断を遅らせているのも事実であろう。

タクシン元首相はチェンマイで家族とともにソンクラーンを迎えているインラック首相へ新年の挨拶と祝福を送るとともに、野党から何を言われても言い返さずに仕事にだけ専心していることを賞賛して、今のやり方が正しくて自分のやり方は間違っていたので真似をしないように注意をしたようである。

またあいも変わらず民主党は若手女性議員を使ってプアタイ党の議員と閣僚がラオスとカンボジアでタクシン元首相と出会ったことは法律違反だと騒ぎ立っているがช่างแม่มันである。写真は久しぶりにインラック首相の大切な息子であるスパセーク君が出ていたので二人の写真にします。


2012/04/14

<ข่าว เมด อิน ไทยแลนด์>

<メイドインタイランドのニュース>

3月31日にハジャイとヤラーで起きたCar Bombの犯人は未だに捕まらず、南部にある複数のテログループの内、どのグループの犯行か特定できない状況のようである。その中にあってはっきりし始めているのは、民主党南部選出議員が指摘したタクシン元首相がマレーシアにおいてPULOの活動家と鎮静化に向けた交渉をしたことが今回の事件のきっかけになったという説は、PULOWEBに掲載されていた写真とマレーシアで発行している中国語紙を根拠としていた。写真の方は幻の写真になり中国語紙のほうもマレーシアでの会談の取材ではなくタイからの情報だということである。

-タクシン元首相がマレーシアでPULOの活動家と出会った。
-ナラティワートのナジャムットディーン・ウーマー元議員が18年前にプーケットで撮った写真。
-最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってる。
以上の3点を混ぜあわせてできてきたタクシン元首相の会談がきっかけとなったという説は、幻の写真で危うくなり中国語紙の記者が31日の事件で犠牲になったマレーシア人の取材でハジャイに来たときに、地元のタイ人から情報を得たということで全てがあやふやになったようである。南部選出の議員であれば現地には情報や知り合いも多くいて犯行グループを探し出すのに協力するのが当たり前だと思うが、ここがこの党の変なところで反タクシンのためなら何でもやればいいのだという焦りが見え見えのような気がする。


2012/04/12

<เรื่องนี้ถึงครูอังคณาแน่>

<アンカナー先生に言いつけるからな>

4月11日にインターネット上で起きた出来事である。YouTubeにサムットサーコンの中学1年生のトート君がタイトルにつけた表題でアップロードしたビデオを178万回も見た人がいて、このセリフがマスコミで使われているということである。クリップの内容はトート君のクラスで使っていたfacebookのグループが原因のようである。ちょっとしたことでボール君というクラスのリーダーによりグループから除け者にされたトート君が相手に怒りをぶっつけ、このまま除け者にするならアンカナー先生に言いつけるからなということである。マスコミの取材を受けたアンカナー先生は当事者を呼んで話し合いをした結果、二人とも元通りの友だちになりトート君もfacebookのグループに戻れたということである。

facebookはタイでは人口の7.7%に相当する510万人が使っているということである。そしてこれだけ使う人が増えた理由はいろいろな理由があると思うが、facebook上で懐かしい友達や連絡を取っていなかった友だちと会話できることがいいということである。また世界の都市でfacebookを使っている人たちが多い順位では5位である。


  • #    City Country Total User
  • 1. Jakarta      Indonesia       17,484,300
  • 2. Istanbul      Turkey            9,602,100
  • 3. Mexico City Mexico            9,339,320
  • 4. London       United Kingdom 7,419,680
  • 5. Bangkok      Thailand           7,419,340


2012/04/11

<ศาลรัฐธรรมนูญ>

<憲法裁判所>

憲法裁判所は2540年憲法でできた司法に関する独立機関の一つである。80%が各法律における違憲判断で政治上の事件を判断するのは10%ということである。しかしこの10%の政治上の判断、たとえば政党の解党、上下院議員の議員資格判断が重要な判断で2549年のクーデター以降は憲法裁判所の判断に濃厚な不公平が出てきている。タクシン元首相支持派と反対派の判決を見ていると不公平があるのは事実のようだ。特に民主党解党裁判は2回あったわけであるが2回ともに解党を逃れ、最後の判決では選挙管理委員会が15日以内に訴えなかったのは手続きに問題があったということで憲法違反の内容を吟味する前に民主党を解党から助けるという形で終わったわけである。

憲法裁判所は9人の判事から構成されていてどこから選ばれるかはは次のとおりである。

最高裁判所裁判官 3名
最高行政裁判所裁判官 2名
上院内の法律学有識者 2名
上院内の政治学有識者 2名

これらの9人の判事の選択については上院に権限があるようで、その上院の半数が2550年憲法以降は任命になり、その上院を任命するのは次の7人で構成する委員会である。

憲法裁判所議長
選挙委員会議長
国家調査員委員会議長
国家汚職防止取締委員会議長
国家会計検査委員会議長
最高裁判所判事
最高行政裁判所判事

このメンバーを見ていると司法関係だらけで、おそらくはこの内の8割以上は旧権力に属する反タクシン派だろう。3月29日には憲法裁判所設立14周年を記念する講演会が開催されワッサン・ソイピスット議長は和解について、今の状況ではありえない事で抗争している両派の政治家と活動家が亡くならないと成立は不可能だと講演していた。裁判所内に居すぎて何も見えなくなったのか民主党の選挙での大敗とパンタミットその他の反タクシン派の動員力は激減しているのは事実であるということが見えていないようである。クーデターにつながった2548年の何万人を動員する反タクシン派集会は民主党が南部から人を集めたからできた結果で今の民主党ではそれもきついだろう。それとは反対に今の司法が変わらない限りにおいて和解は難しいということにも気づいていないようである。

2012/04/10

PULO

Patani United Liberation Organization
<パタニー統一解放機構>

3月31日に南部の2県で同時に起きたCar bombから1週間が過ぎて事件が起きたヤラーの商店通りでは複数の僧侶を招いてタムブンと亡くなった人たちへの供養をやっていた。最南部3県にあるヤラーはイスラム教徒が多いと聞いていたので仏教の僧侶が多く来ていることが不思議に思っていたのだが、供養をするには仏教が向いているのかそれとも商店街は中国系タイ人が多いというせいかもしれない。

そしてこの日には早くも民主党から今回の事件の背後にはタクシン元首相がいるというニュースが流れてきている。ヤラー選出のプラサート・ポンスワンシリ民主党議員によると、2月22日に南部の係員に連れられたタクシン元首相とプアタイ党議員はマレーシアに入りPULO(パタニー統一解放機構)の18人の活動家と南部鎮静に向けた話し合いを行ったが成立せずに、3月17日にはインラック首相も同行して2回目の交渉でマレーシアに行ったとしている。その根拠としてはPULOのWEBにタクシン元首相が活動家と抱き合っている写真があったと主張している。しかしその日の夕方にはPULOのWEBでそのような写真がなかったことをマスコミから追求されたこの議員は、写真は南部の人がWEBから印刷してきた写真で今はその人がマレーシアに行っているので手元にはないということで幻の写真になったわけである。

この幻の写真については、アピシット前首相までが言い訳を手伝わされたようで写真以外にも政府の高官が交渉に行ったという情報はいっぱい入ってきていると言い訳をしている。これはศอ.บต.という最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってることを指しているのだと思う。
南部は民主党の地盤で多くの議員と支持者がいて情報が入ってくるだろう。今回はその中の偽の情報に乗ってしまったということだろう。これまでも何度も事件は起こっていたが3月31日の事件で南部の問題が国民的な課題であることを再確認して解決への方向を見出そうとしているときに偽の情報で混乱させていいものだろうか。それとも民主党にとっては国民的課題より反タクシンのほうが大事なのだろうか。

その後もマレーシアにおける会談については情報が錯乱して、民主党が固辞する反タクシンの新しい話題となっているようである。民主党が南部の事件を利用して反タクシン運動を再度展開するやり方は、南部をより混乱状態にしているのは事実のようである。

2012/04/07

<ไหว้เขาสิพี่>

<あんたらあの人に感謝したら>

タイトルのタイ語を直訳すると分かりにくいので意訳にした。また状況を説明すると時は4月5日で場所は国会、発言者はナタウット・サイグア農業副大臣である。この日深夜まで行われた和解委員会が提出した和解案を受け入れるかどうかの国会討論で、この国会討論の間、民主党議員が和解委員会ソンティ・ブンヤラットクリン議長に詰め寄り、この和解案に不満な議員が攻撃的な発言をしたことを受けて、それまで選挙で負け続けいた民主党が2549年のクーデターにより政権の座につくことができたのは、クーデターの指導者であったソンティ・ブンヤラットクリン議員のお陰なのだから感謝すべきだというナタウット・サイグア農業副大臣が発言の最後に民主党議員に向って言った言葉である。

もちろん民主党も和解には同意しているとは言っているが、プラポッククラーオ研究所が作成した和解案ではこの6年間のタクシン元首相壊滅計画のすべてが無駄だったということになるのを恐れているようである。できれば和解を延ばし司法によるプアタイ党の解党もしくはできるなら再度のクーデターを狙っているようである。

また民主党のステープ議員がテロリスト以外との和解なら賛成だとの発言を受けてプアタイ党のジャトゥポン・プロームパン議員は91人を殺した殺人者との和解はできないとやり返した。また続けていずれは成立する恩赦ではプアタイ党のナタウット・サイグア議員と自分と民主党のアピシット前首相およびステープ議員の4人だけは除外にして、公正な司法のもとでテロリストか殺人者かの裁判をやろうということである。これに対してアピシット前首相はステープ議員と自分とタクシン元首相の3人で裁判をやろうということである。

2012/04/06

<จุฬาราชมนตรี>กับ<สมุหนายก>

<政府が任命するタイイスラムの宗主>と<文官の最高官名>

ナタウット・サイグア農業副大臣が言ったように戦車から降りたソンティ・ブンヤラットクリン議員はค.ม.ช.国家安全評議会議長からก.ม.ธ.ปรองดอง和解委員会の委員長へと180度の転換を果たしたようである。この転換について本人は軍人時代に修士学位をとった社会学の勉強でタイ社会が友愛とつながりを持った社会になって欲しかったと語っている。また現在も続けているラームカムヘーン大学での博士課程が政治学というのも転換に影響しているのかもしれない。陸軍を大将の位で退官したあとの2552年には最南部のナラティワート、ヤラー、パッタニーを地盤とした政党マートゥプーム(故郷党)を立ち上げ2554年の選挙で下院議員になっている。今回の下院議会内にできた和解委員会の委員長には自らの意思でなったようである。

ソンティ・ブンヤラットクリン議員はイスラム教徒としては初めて陸軍司令官になった人で、おそらくは南部出身であると思っていたのだがタイ中部のパトゥムターニー出身であるということである。先祖はアユタヤ時代のエーカートッサロット王(治世2136-2144)のときにアユタヤに来たアラビア人でソンタム王のときに貿易で巨富を築き上げたチェークアフマッドだということである。この家系からは<จุฬาราชมนตรี>と<สมุหนายก>という要職に就く人が何人もでてバンコク時代にっても有名な家系は続いているということである。

2012/04/05

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<คาร์บอมบ์>และ<กลุ่มกองโจร>

"Car bomb"and"Terrorist"

昨日の3chの夕方の番組「ジョカーオデーン」では久しぶりに屋外での取材になり番組進行役のソラユット氏が南部ヤラーの爆発現場に来ていた。昨年10、11月の洪水の取材で気づいたことは、この人の方法はなるべく早く現場に駆けつけ現場にいた人たちに話をさせて、その時の状況を詳しく語ってもらう。そして現場の人たちに政府と関係機関に対する期待と不満を語ってもらうということだと思う。またソラユット氏という国民に人気がある人が行くことにより世間は事件現場に注目していることを知らせ犠牲になった人たちを安心させ元気づけることにもなっていると思う。

3月31日に発生した南部ヤラーの爆発は商店通りに停車していた2台の車が爆発、20分後には100mほど離れたところで3台目の車が爆発、この3台目の車の爆発は初めの爆発現場の犠牲者を助けようと駆け寄った人たちが集まってきた時に合わせて爆発させたようで11人という死者が出ている。各々車には50kgほどの爆薬が仕掛けられていて爆薬の中には鋭く尖らした鉄の破片が大量に入っていて、多くの死者は爆風とともに飛んできた鉄の破片で亡くなったようである。

3台目の爆発現場で全壊した7イレブンの持ち主に話を聞いていたソラユット氏は何度かメガネの中を拭いていたので涙が出ていたのだろう。昨年の洪水の報道の時には決して見せなかった涙である。おそらくこの事件は衝撃的でこれから南部の問題をどのようにしていくのか大きな国民的な課題になったのだと思う。


2012/04/03

"อีสานบน"กับ"อีสานล่าง"

<上イサーン><下イサーン>

4月に入り一段と暑くなってきたタイであるが暑くなってくるとそろそろソンクラーンタイ新年である。3月31日には南部の3県で同時爆発が起こり13人の死者と534人の負傷者をだすという大きな事件もあり、ソンクラーン期間中の南部特にハジャイへの観光は激減して6割方落ち込むということである。しかし何と言っても今年のソンクラーンのハイライトはタクシン元首相に出会うラオスとカンボジアへの観光になるだろう。タクシン元首相は4月11,12日にはラオスのビエンチャンでノーンカーイを通ってやってくる上イサーンの赤服を迎え、4月14,15日にはカンボジアのシアムリアップでアランヤプラテートを通ってやってくる下イサーンの赤服を迎えるということである。また14日にはシアムリアップにある80,000人を収容できる文化センターでタクシン元首相の演説があるということである。これまでの集会ではタクシン元首相は海外からビデオリンクで演説していただけであったが、今回は選挙演説と同じように支持者に囲まれて触れ合いながらどのような演説をするのか期待されているようである。そして直に演説を聞く赤服の参加者が感動してタクシン元首相の元で団結してさらなる民主化に向けた行動とタクシン元首相の帰国実現への運動を加速していくのは確かだろう。

また参加者にはタクシン元首相から記念品が配られることになっていて次のとおりである。
1,ゴム製で頭からすっぽりとかぶるタクシン元首相の仮面、20,000個
2,タクシン元首相の顔を刺繍した赤のポロシャツ、30,000着
3,タクシン元首相と家族の写真を入れた扇、100,000本
これだけの数量の記念品をどこで作ったのか不思議だが、またこれだけの人が集まるのか見ものではある。
そしておかしいのは20,000個のタクシン元首相の仮面をかぶった人たちに囲まれてタクシン元首相は国境を超えてタイに帰国するというアイデアである。


2012/04/01

"ปรองดอง"หรือ"ปรองเดือด"

<和解><沸騰>

先日、有名なソラユットのテレビ番組で国会で激論になっている和解案について2人の出席者が出ていた。和解委員会の民主党議員9人の代表で27日の国会での討論の前に委員会から脱退した民主党ソンクラー県選出のニピット・イントラソムバット議員とノーポーチョーのナタウット・サイグア農業副大臣である。この番組でのソラユットの番組進行は定評でどのように討論が進んでいくのか楽しみにしていたのだが、ナタウット・サイグア農業副大臣の自信からきた落ち着きに比べてニピット・イントラソムバット議員の自信のなさからきたイライラと攻撃性はソラユットの番組進行の腕を持ってしてもあまり噛み合わない討論になったようである。

民主党議員のイライラは昨年の選挙での敗北から国会での敗北といろいろあるだろうがインラック首相を中心としたプアタイ党議員に対する実に細かい理由による訴訟沙汰が味方であるはずの司法により取り上げられないということもあるようだ。そしてそれ以上に恐れているのは選挙地盤の南部ナコンシータマラートに赤服村ができたことではないだろうか。この番組の中でナタウット・サイグア農業副大臣は和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン議員が戦車から降りてきたという表現を使って2549年に起こったクーデターのリーダーから和解へのリーダーに変わったことを強調していた。

さてそのソンティ・ブンヤラットクリン議員が主人公になった3月27日の国会における長時間にわたった激論であるが、その間クーデターのお陰で議員になれた民主党議員と一部の上院議員から180度の方向転換を詰め寄られるという場面もあったようである。一方ではクーデターにより失くすものが多かったプアタイ党議員は反対に
ソンティ・ブンヤラットクリン議員の応援に回ったようである。先日2000人の参加者を集めて開催された民主党の<力をあわせてタイ国を変えていく>集会でアピシット民主党党首はクーデターによる独裁と独占資本による独裁を反対するとはっきりと表明しているが、行動を見ているとクーデターのお陰で2551年に政権党になれたことを懐かしがっているのは事実のようである。