2012/03/31

"ลืมๆไปซะ"

<忘れてしまいましょう>

プラポッククラーオ研究所が作成した和解に向けての報告書を要約すると「忘れてしまいましょう」ということである。สถาบันพระปกเกล้าのサターバンはInstitutionをナラーティップポンプラパン親王がタイ語にされたもので
大学、研究所、寺院、病院等の公共施設に使われているタイ語である。

さてこの1週間、国会及び各マスコミにおいて激論を巻き起こした報告書は次の調査項目を経てできたようである。
1,タイと同じような状況に置かれていた10カ国への調査
2,タイ社会内の抗争を調査
3,パンタミット、ノーポーチョー、政府職員、政府の関連機関と元首相を含めた47人へのインタビュー
結果は抗争の中心はタクシン元首相で民主主義をどのように解釈するかの違いから起こった抗争で一方は
国会における多数派を重視して、もう一方は民主主義においての道徳と倫理を重視した結果であるということである。そして両方共に権力と利益の維持のためにおのれの考えだけを主張してマスコミを使い社会に浸透させた結果、民主主義に対する解釈の違いが社会経済上の格差を生み出し気づかせることになったということである。

報告書では抗争を終わらせる方法として短期的には次の方法を提案している。
1,6ヶ月後に結果を出すコーオーポーと呼ばれる和解のための真相調査究明独立委員会を支援する
2,すべての関係者に対する条件なしの恩赦
3,2549年のクーデターのよりできた国家損失真相解明委員会により犯罪となった全てをなくす。
4,国民による反対集会を禁じた上での憲法と法律の改正

民主党が強硬に反対するのは、この報告が国会で取り上げられると与党による多数決賛成で恩赦法が
成立してタクシン元首相の帰国につながることを恐怖を感じるほどに恐れているようである。


2012/03/29

"การปรองดอง"หรีอ"การขัดแย้ง"

<和解><抗争>

6月27日、国会下院内の和解委員会(...ปรองดอง)から民主党委員9人が離脱した
ことを受けて世論では民主党は和解を真剣に考えているのかそれとも抗争を続けていくのかという
疑問が出てきている。もしこのまま和解が成立するなら政府すなわちプアタイ党の得点になり
予想されているように次回の選挙では民主党は100議席を切るかもしれない。
おそらく民主党の考えはこのまま抗争を続け各裁判所に訴訟を続けているといずれは首相解任や
プアタイ党の解党が実現すると思っているのだろう。実際に料理番組出演が憲法が定める兼業規定
に違反するとして憲法裁判所から首相の座を追われたサマック・スントラウェート元首相の例や
タイラックタイ党とパランプラチャーチョン党の解党を考えると司法が反タクシン派であるのは明白
だからである。

さて和解委員会がプラポッククラーオ研究所に諮問してできた報告を27日の国会で与党は
審議を始めようとしたところ、審議前にこの報告がまともでないとする野党民主党の反対を受けて審議は
4月4日に延期されたようである。この間、民主党議員による報告案を破り捨てる等の混乱があり
休憩をはさんだ再開では和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン委員長が立ち上がり「あなた達は
一体に何のために国会に来ているのか。外部にはなんの抗争もなく国会こそが抗争の原因で
外部に拡げているのではないのか」と詰め寄ったようである。

各調査機関の報告によると対立をしているのはタクシン元首相を応援するグループとそれに反対する
グループで国民の40%だけで残りの60%は和解を願っているということである。タクシン元首相に反対
するグループはタクシン元首相が旧権力が重要視するものを破壊すると思わされているようである。
またタクシン元首相を応援するグループは旧権力が民主主義の原則を破ってでも権力を固守しようと
していると考えているようである。

一方2553年の鎮圧により亡くなった91人を代表するパヤオ・アックハート女史は国会議長に対して
大勢の犠牲者を出した武力鎮圧の責任を取るものが誰もいない状況で和解というのは早急で
事実を明らかにしてはっきりと責任者を処分してからの和解でも遅くないのではということである。


2012/03/21

"สำนักงานผู้ตรวจการแผ่นดิน"

<国家調査員委員会>

当初、この委員会の名前แผ่นดินを見たときは国土のことだと思い地表にある国有地、国有林、
国立公園などでの不法占拠や国有林の不法伐採または国立公園内での野生動物の不法捕獲を
調査する委員会だと思ったのだが、業務内容を見ているとแผ่นดินとは国家のことで2549年の
クーデター以降にできたタクシン元首相を追い出す司法の一機関で国家調査員委員会が
適当な訳のような気がする。

タクシン元首相の大衆主義と呼ばれる地方の人達の生活と地位向上を目指した政策は特に北部と東北部で人気を集め選挙ではかならず勝つという政党を創り上げた。しかし地方を利用しながらも
蔑視してきた旧権力は地方の人たちに権力が移っていくのを嫌い選挙ではタクシン元首相の党には
絶対に勝てないと悟ったのかパンタミット+民主党による国会外における大衆行動、軍権力による
クーデターそして司法による解党措置でタクシン元首相を国外追放にして民主党を政権の座につけることに成功したわけだが、時の流れを読めない民主党は2年以上に渡る統治期間中に何ら具体的な政策も打ち出すことができずに赤服の集会を鎮圧するだけに終わり、2554年の選挙では大負けをしてインラック首相が率いるプアタイ党政権ができたわけだが旧権力によるタクシン元首相の追い出しは続いていてこの国家調査員委員会を使った司法権力による追い出しが目立った動きのようである。

国家調査員委員会は2550年憲法の規定によりできた3人による委員会で役目としては、政治家、公務員の違法行為を見張り、政治家、公務員が倫理規定に即した人格であるのかを調査する委員会のようである。今のところナタウット・サイグア農業省副大臣がテロリストの容疑で訴えられていることとナリニー・タウィーシン首相府大臣がアメリカ財務省のブラックリストに載っていることが倫理規定に引っかかっているようである。


2012/03/19

"ไม่กลับหรอกค่ะ"

<帰ってこないわよ>

タクシン元首相のタイ国内の情勢分析では和解への兆しが見え始めたので今年中には帰国できる
と予想しているようである。この情勢分析に対するインラック首相の答えは一言で<帰ってこないわよ>
ということである。この答えに対してタクシン元首相は赤服もプアタイ党も帰って欲しがっている。しかし
政府だけが帰って欲しくないようだとつぶやいたようである。

タクシン元首相の帰国は賛成派および反対派にとって昨年の選挙以上に重大なことでタクシン元首相を極悪人としてきた民主党やパンタミット等にとっては国を民主化とは反対の方向に向け格差社会を温存してバンコクが地方に対して優位であるというバンコクに住む保守層の考え、そして黄色集団による集会また空港占拠、その上にはクーデターによる民主党政権成立等の行動ががなんの意味もなかったことになるほどの重大なことだと思う。

ではタクシン元首相の帰国の方法とは次のとおりである。
1,チャローム・ユーバムルング副首相が提案する...ปรองดอง(ポーローボープロンドーン)という
和解法案による帰国。
2,スチャート・ラーイナムンガン首相付き副幹事長による...นิรโทษกรรม(ポーローゴーニラトートガム)という恩赦緊急勅令による帰国。
3,この時点では国会内にできた委員会で憲法草案議会設立に向けた議論が行われているが、その2550年憲法を改正することによる一部条項をなくすことによる帰国。
4,前回のクーデターを率いたソンティ・ブンヤラットクリン大将が議長になった国会内の和解に向けた方向を検討する特別委員会による諮問を受けたプラポッククラーオ研究所がまとめたクーデター政権による訴訟を全て無効にするいうことによる帰国。

しかし4案ともに時間がかかり反対派を増やしていくだけなのでイサーンの赤服が提案する今年の4月のソンクラーンのときにラオスを訪問することになっているタクシン元首相をそのままノーンカイからタイに入国させウドンタニーで何十万人規模の赤服を集めてタクシン元首相を守るという案が一番現実的であるという気がする。

写真には4年先の2559年にタクシン元首相帰国という写真を使ったが、民主党はお喋り上手を超えて悪口上手になり政治党派ではなく悪口同好会という様相でパンタミットは大きく人を集めるスローガンもなくなり今の反対派の状況を考えると近々という気がする。


2012/03/14

"บัวขาว"

<白いハス>

BlackgoldまたはDam.comというニックネームを持つ2004年と2006年の
K-1 World Maxの王者で日本人もよく知っているブアカーオ・ポー・プラームック
は所属ジムであるポー・プラームックから3月1日に失踪してから行方知らずであったが
12日にバンコクの7Chのスタジオに現れ失踪した気持ちを番組の中で
語った。理由は所属ジムとうまく行かなくなったということだがブアカーオの
百万バーツ単位のファイトマネーは習慣でジムと半々ということである。

ブアカーオは1982年にタイ東北部のスリン県に生まれ8才でムアイタイを
初め15才で田舎を出てポー・プラームックジムに所属したようである。
これまでのところ236戦して203勝21負けでうちノックが51回で引き分けが
12回である。このような結果になったことについてジムのオーナーは
タイ語でปั้นという粘土をこねるという言葉を使い15才から29才まで粘土を
こねるように養育してきたのがこのような結果になり残念だということである。
また名前のブアカーオは訳すと白いハスということになるが辞書を見ると
ブアカーオはそのままでハスという意味だということである。
また仏教国タイではハスの花は神聖吉慶な花とみなされ、美しい良いものの
代表とされている。