2011/11/21

<พ.ร.บ.>กับ<พ.ร.ก.>

"Pho.Ro.Bo."and"Pho.Ro.Ko."

2006年のクーデター以降の混乱の中でタイが格差社会で民主主義の基本である平等社会からほど遠い階級社会でバンコクと地方との格差、バンコクと地方との富の格差、バンコクと地方の教育の格差を指摘する声は上がっていたが今回の洪水により具体的に格差があることが浮かび上がってきたようである。

バンコクを中心としたニュースを流す報道にもはっきりと格差と差別がありバンコクに水が迫ってくると洪水のニュースを流すがそれまでも地方特に農地は洪水の影響を多大に受けているのに農家の取材はなく大声を上げる人達が住むバンコクだけのニュースを流し、最近のニュースではバンコク中心部から水が引いているというニュースばかりで地方の農地がいまだに水に浸かり農業ができないという報道は一切ないのは報道にも格差と差別があるという理由からだろう。

ここに来てビッグバックという洪水の水をせき止める大型砂袋で中心部への水の南下を止めて東西に排水するという成果が出てきたようでバンコク中心部へ水が来る可能性は消えたようである。一時期に浸水した中心部への入り口、ラートプラーオ交差点から水が引いたことで昨日のテレビではスクムパンバンコク都知事がテレビタレントを引き連れて掃除をしているところを見ていると、そのわずか何キロ北にあるバンコク以外の地区ではビッグバックで水をせき止められたおかげで今だに水が1mも浸水していていつになると元通りになるか分からない住民はずいぶんと腹立たしいことだったと思う。

そしてバンコク中心部が元通りになり始めているのを見てビッグバックの上流にいてバンコクの犠牲になっている住民は土のうを取り除いたり道路を封鎖するなど実力でもって大声を出し始めた。このような実力行使を取り締まるために民主党は2010年4月から5月の集会鎮圧に使ったという勅令を使って2010年と同じように軍隊を出動させこれらの住民を鎮圧するように政府に提案したがインラック首相はという普通の法律を選んだようで
おかげでこれらの住民との交渉は終始話し合いで進められ土のうを取り除いた住民の逮捕ということもなく、今のところはもちろん2010年の集会鎮圧でのような死傷者、負傷者もださない結果になっているのは政府の勝利で民主党は2010年に話し合いの努力を放棄して91人の死者をだしてしまったことを民主主義を尊重する政党であるならばもう一度考えるべきだと思う。

洪水期間中も2010年の集会鎮圧の真相を究明する動きは続いているようでアピシット前首相とステープ前副首相という鎮圧責任者が真相、事実という洪水に巻き込まれていくのは間近のようである。

พระราชบัญญัติで法律
พระราชกฤษฏิกาで勅令ですが各々は次のとおりです。
พ.ร.บ.ป้องกันและบรรเทาสาธารณภัย
พ.ร.ก.บริหารราชการในสถานการณ์ฉุกเฉิน



2011/11/18

<น้ำท่วม>และ<น้ำตา>

<洪水><>



北からゆっくりと流れてきた水はやっとバンコクの南に来て
海に戻っていこうとしている。今回の洪水はピーク時の水量が
満水時の琵琶湖の3分の2に相当する160億トン、浸水した
地域が1万6000平方キロに及ぶとみられ、これまでに500人以上
が死亡して200万人が影響を受けているということである。
首相に就任したばかりの時期に未曾有の災害の対策に
追われているインラック首相であるが、ここにきて特に民主党の
女性議員から被災地支援に首相が行ったときに公衆の前で
涙をにじませたことでขี้แย.อ่อนแอ.สำออย.泣き虫、かよわい、
甘えているという批判が出ていてひどいのになると涙を見せて
同情票を集めようとしているという議員もいるようである。

確かにこの間の新聞では3-4回ほど感情がたかぶって
涙が出たようである。指導者は冷静で的確な判断すべきだと
その通りではあるが災害被害にあっている何万人という人たち
の前で感情がたかぶり涙がでるのは人として普通のことでは
ないだろうか。それより昨年のラーチャプラソン交差点の赤服
集会を鎮圧して91人の死者を出した責任者のアピシット前首相は
一滴の涙も見せたことはなかったはずである。反対に涙を見せることも
なくテロリストの仕業だと言い続ける民主党のほうがおかしい
ような気がする。


2011/10/06

<เด็กเร่ร่อนจรจัด>

<ストリートチルドレン>



新しいジンラック政権にとっての課題は最低賃金300バーツ、大卒の給料15,000バーツと公約を実現することも大切だが本当の人として早急にも解決すべき問題は子供の問題で教育制度内の問題、教育制度外の問題を含めた教育の問題だということである。この課題を背負っているのは教育省、社会開発人事安定省、保健衛生省という3つの大きな省庁だということである。これらの省庁が早急に手を差しのべなければならないグループは次の15グループということである。

*ストリートチルドレン 30,000
このうち政府機関と民間機関により援助を受けているのは5,000人で残りの子供は援助を必要としているということである。
*国籍がない子供 200,000~300,000
*外国人労働者の子供 250,000
*エイズに罹災した子供 50,000
*母親が未成年の子供 100,000
*孤児 88,730
*15才以下で労働に従事している子供 10,000
*18才以下で性風俗店で働かされている子供 250,000
*薬物中毒の子供 10,000
*年間収入2万バーツ以下の貧困家庭の子供 2,978,770
*辺鄙なところにいる子供 160,000
*学習能力に欠け情緒不安定な子供 2,500,000
*障害がある子供 100,000
*最南部3県に住んで学校に行く機会がない子供 60,000
*事件を起こした子供 60,000

さて選挙期間中からジンラック首相の本はではじめていたが本屋に行くと5-6冊になっていた。しかしまだ首相になったばかりなので書くこともないのか薄っぺらな本が多いが
「アメージング・ジンラック」という本を買ってみた。この本の中で印象に残ったのは学生の頃は外交官になりたかったことと、結婚した頃から子供が欲しかったがなかなかできず6-7年経った34才になってできたときは夢のようでほんとうに嬉しかったということである。選挙期間中の写真を見ていると子供を見つめている時と接しているときの彼女の表情には心から子供が愛しいという気持ちがあふれていたのがこの本のおかげで分かったという次第である。


2011/09/29

 <ไปค์>หรือ<ไปป์>

<パイク><パイプ>

まずはおおくのタイの人は生まれたときに両親がつける名前の他にニックネームもつけてもらうということをタイを良く知っている人なら分かっていると思う。スパセーク・アモンチャット君(9才)にもニックネームがもちろんあるわけだが、英字紙にはPipeとなっていたりタイ字紙もPipePikeに分かれていて混乱していた。選挙期間中は母親のそばにいて母親の魅力をさらに引き立てていたパイク君は母親の勝利に大きく貢献したことはタイの人々も認めることである。11日に小学校で開かれた母の日の記念行事でパイク君から贈り物を送られたときには母親はうっすらと涙を浮かべていたということである。この時パイク君が書いた母親への手紙は次のとおりである。

"ถึงคุณแม่ ไปค์ขอให้คุณแม่สำเร็จในสิ่งที่คุณแม่หวัง ขอให้คุณแม่สุขภาพแข็งแรง ไปค์รักคุณแม่มาก รักที่สุดในโลกและขอให้มีความสุขครับ ลูกไปค์"
お母さんへ、パイクはお母さんが願っていることが叶うことを祈っています。健康には気をつけて幸せになってください。世界で一番愛するお母さんへパイクより。

ニックネームについては新聞記者が直接パイク君に聞いたようで「パイクという名前は魚の一種でPikeだよ」ということである。この一家のニックネームはすべてPから始まっていて父親のアヌソーン・アモンチャット氏はPOPで母親はPUことジンラク・チナワット第28代タイ国首相である。ジンラク首相の課題は重く亡霊に振り回され続けたこの5年間の人々の痛みを母親の視点からどのように癒すことができるのか、そして6,700万人の国民をどこに連れていくのかということだと思う。


2011/09/27

<司法クーデター>

<รัฐประหารตุลาการ>

この一週間は政治が動き始めいろんなニュースがあったがタイ字紙で一番話題になったのはタクシン元首相の日本入国だと思う。「日本、中国、アセアン経済文化研究会」からの招待で8月月末に日本を訪れることになったタクシン元首相に日本政府がビザを発給したことは違法であり、タクシン元首相の日本入国を容認するかという日本政府の問い合わせにそれは日本が決めることだと答えたスラポン外相をタクシン元首相を助ける閣僚だと野党になった民主党は攻撃を始めているようである。またアピシット前首相によるとタクシン元首相はインターポールの犯罪人リストにも載っていて日本政府は逮捕すべきだと主張したが、次の日には警察も外務省もインターポールの犯罪人リストにはタクシン元首相の名前がないし載ったこともないということで民主党の口だけで行動がないという事実が確認されただけに終わった。

もともと判決が出た事件と審議が中断している事件を含めてすべては司法クーデターによるタクシン元首相を標的にした陰謀以外の何者でもなく、それを民主党は利用してタクシン元首相=犯罪人という虚像を作り上げ赤狩りそして魔女裁判をやっただけのことで政権が変われば無効になったと各国も判断するのは常識でドイツ、フィンランドはタクシン元首相を入国拒否する政策を変更させ日本もそれにならったということだけである。

この状況に合わせたかのように中東の1都市ドバイに住んでいたタクシン元首相には羽が生えたようでドイツに飛んでいき今はカンボジアか中国に寄り道をして8月22日には日本へ降り立つようである。タクシン元首相はタイのことを心配して何とか役に立ちたいということで貿易投資交渉の特別大使になり世界を駆け巡りたいようである。それによりタイにとっては年間2,500億バーツの貿易投資が増えるということである。


2011/09/22

<チナワッット>と<チナワットダムロン>

<ชินวัตร>กับ<ชินวัตดำรงค์>
  
ブリラム県で催されたナーイヤイことタクシン元首相の62才の誕生日では、ブリラム県で有名なクメールの占い師が現れナーイヤイタクシンの名の方はいいが姓の方はくたびれ損の一生になるのでチナワットの最後にある読まないロールアを省いてダムロンを付け足すといい名前になりタイへの帰国が早期に実現できるということである。

2006年のクーデター以来、海外に住むことを余儀なくさせられているナーイヤイタクシンの誕生日を見ると2007726日の58才の誕生日はロンドンに来たタイラックタイの党員たちと賑やかな誕生日を迎えている。20082月初旬に裁判を受けるために帰国したときの空港でタイに帰れた感激から空港ロビーでいきなりひざまずきタイの土に感謝をする(写真)。その年の59才の誕生日はタイの習慣通り家族とともに僧侶への布施をして午後はパランプラチャーチョンという名前に変わった党員たちがお祝いに駆けつけた。それから何ヶ月も立たないうちにナーイヤイタクシンは中国で開催されるオリンピック式典に参加するという名目で裁判所からの許可を得て出国したままになる。2009年の60才の誕生日はそれ以来住むことになるアラブ首長国連邦のドバイで家族だけで静かに迎える。2010年はスリランカにある1,000年の歴史がある古刹で誕生日を迎える。そして今年2011年の62才の誕生日は、タイの各地で催された赤服による祝賀会とは反対にヨーロッパの寺院で家族だけで祝ったということである。

そしてヨーロッパの国ではドイツが一番にタクシン元首相を入国させないという規制を解除したようである。タクシン元首相の法律顧問であるノパドン元外相によると入国拒否という規制はアピシット政権の誤った情報ででていたものでこれからも他の国での規制が解除されていくということである。


2011/09/21

<臨時措置布告>

<คำสั่งมาตราการชั่วคราว>
  
オランダのハーグにある国際司法裁判所はタイとカンボジアの国境紛争で臨時措置に関する布告をだした。これはあくまで臨時措置で判決ではないようである。カンボジアが要求している1962年に同じく国際司法裁判所がだしたプレアビヒアをカンボジア側だとする判決の解釈については何ヶ月か先になるようで、それにより国境線が決まるのかそれとも裁判所は解釈をしないのかまだ決まっていないようである。布告は臨時措置が4項目で一般的な布告が3項目あるようである。

臨時措置布告

1,分水嶺から測ってタイ側に8.5、カンボジア側に8.8の全体で17.3が非武装地帯になる。

2,カンボジアは自由にプレアビヒアへ行き来することが出来、タイは邪魔してはならない。

3,アセアンの枠内での協力とアセアンからの監視団を認める。

4,タイとカンボジアの関係が悪化するいかなる行動もこれを排除する。

一般的な布告

1,国際司法裁判所はカンボジアからの訴訟を継続して審議する。

2,両国は臨時措置布告の実施状況を国際司法裁判所に報告する。

3,新しい事実と異議がある場合は国際司法裁判所に対して再審議を要求することができる。


さて大切な非武装地帯からの両国軍の撤退であるが、タイ側は監視団を含めた3者会談で撤退時期を決めるとしていてフンセン首相も同じような考えで会議の主催はカンボジアがやってもいいと言っているようである。いずれにしても会議はタイ側の外相と国防相が決まってからになると思うが、フンセン首相をマフィア呼ばわりしたパンタミット枠のガシット元外相がいなくなって会談はよりやりやすくなったと思うがどうであろうか。ガシット元外相は先日パンタミットと共に国際空港2ヶ所を占拠した罪状で検事局に告訴されたようで、この裁判に出席していたガシット元外相はタイに帰ってきてさっそく警察に報告に行ったようである。タイのマスコミでのこの人の評価は2年余りの任期の前半を外務省の力で各国に圧力をかけタクシン元首相を追い回し後半はカンボジアとの争いに明け暮れただけというおかしな外相ということである。

写真は国境の地図で青線がカンボジアが主張する国境線。
赤線がタイが主張する国境線。
橙線が非武装地帯である。


2011/09/18

<少年 少女>と<ミスター ミス>

<ด.ช. ด.ญ.>กับ<นาย. นางสาว.>

法律の改正により710日から始まったタイの人たちが所持するIDカードは15才から作っていたのを7才から作るようになったようである。IDカードの名前の前につく敬称は7才から14才までが少年、少女で15才になるとミスター、ミスになるようである。ただ女性に限り結婚して籍を変えるとミセスになるであるがそれがいやで結婚をしても籍を変えないひとが多いと聞いたことがある。大切なIDカードでもし所持していないのが見つかった場合は200バーツの罰金を課せられるということである。しかし多くの子供たちは母親に預けておくので罰金はないようである。

7才から14才の子供たちは800万人いるようでかかる費用は人件費を除いても2億バーツ以上ということで反対の声も上がっているようだが大部分のタイの人たちには受け入れられているようである。それに子供たちは大人が持っているものに憧れるので喜んでいるようである。これまでは子供たちが国のサービス等を受ける場合は出生証明書か住民票を示す必要があったのが1枚のカードになり便利になったということである。では国と子供たちにどのような利点をもたらすのか内務省管理局の説明によると次のようである。

1,国民の情報を管理することでの国の安定
2,他人の権利を侵害する行為を防げる
3,医療、教育等の国のサービスを受けるのが便利になる

さて一番心配なのは孤児になった等の理由で<เด็กเร่ร่อน>と呼ばれるストリートチルドレンになる子供たちであるが反対にIDカードを作る機会がなく国のサービスを受ける権利がなくなるのではという点については管理局は各自治体や協力機関の助けを借りてくまなく子供たちのIDカードを作ると言っているがどうなるのであろうか。

IDカードのことを調べていて気づいたのは識別に用いる13桁の数字には国籍の取得手順や登録地区の情報が収まっているということであるがタイの人たちはこの数字を使って大好きな占いをやっているようである。写真は1943年から使われた第一世代のIDカードでバンコクだけで使われていたようである。


2011/09/14

<先に剥奪>か<後で剥奪>

<สอยก่อน>หรือ<สอยหลัง>
  
国会議員の認証において選挙委員会は委員会の審議で剥奪するか、それとも認証した後に裁判所で剥奪するのかということで先か後がで混乱しているようである。本来の意味は<สอย ソーイ>と読んで竹竿で果実を摘みとることをいうようで<สอยดาว ソーイダーオ>となると竹竿で星をもぎ取るという意味になる。チャンタブリーにはソーイダーオ山があり何年も前になるがこの山のそばを車で通ったときに一緒に乗っていたタイの人がこの山の頂上では竹竿を使って星がとれると聞いたときはきれいな名前の山だなと思ったことがある。タイトルのソーイを剥奪としたのは議員資格に関してのことだからである。

選挙委員会による当選議員残り142人の審査が手間取っているのはジャムロン氏を中心としたパンタミット勢力が選挙結果に不服を唱えていて選挙委員会は慎重になっているということである。パンタミットは今回の選挙をVote Noという方針のもとに棄権投票を呼びかけていたがそれほど効果がなかったのか、今回の選挙は国を買収する選挙で主な6政党の解党を狙う戦術に変えたようである。有権者の75%が投票した選挙を無効だとする戦術はまともな人には相手にされないだろうが、まともでないパンタミットなので選挙委員会は恐れているようである。

2006年のパンタミットによる反タクシン集会はクーデターのきっかけになったのが然り、2008年の首相府占拠から各地の空港占拠然り、この時のスワナプーム空港を占拠した影響は計り知れないのに占拠したパンタミットの裁判は続いているのかいまだに判決は出ていない。この空港占拠についてパンタミットは占拠ではなく空港で集会を開いていると空港側が勝手に空港を閉鎖したということである。パンタミットの考えは保守で勢力と支持基盤を見ると一介の右翼団体にしか見えないのだがどのような力が背景にあるのか疑問である。


2011/09/12

<民主主義制度外の権力>か<見えない権力>

<อำนาจนอกระบบ>หรือ<มือที่มองไม่เห็น>

選挙も無事終わり1週間以上が過ぎたにもかかわらず選挙委員会が500人の当選議員のうち358人しか認証しないのは、2006年のクーデター以降の5年間に何度も出てきた亡霊のような権力が動き出し選挙委員会の認証が遅れているというのが多くの国民の考えである。選挙期間中の噂では選挙委員会が民主党を勝たせるためにプアタイ党当選議員のうち2325人にレッドカードが出されるというのが事実になるとすればプアタイ党当選議員265人の過半数でもっての連立構想が無くなる可能性も出てくる。選挙委員会の認証が遅れているのは選挙違反についての異議があり周到に検討しているという意見もあるが、では選挙委員会にどのような異議が出ているのか分かっているだけ羅列してみた。

1,เครือข่ายต่อต้านทุจริตคอร์รัปชั่นแห่งชาติ
  国家不正汚職摘発グループによるプアタイ党への異議
2,เครือข่ายพลเมืองอาสาปกป้องแผ่นดิน
  志願して国を守る市民グループによるジャトゥポン氏への異議
3,パンタミットの中心人物ジャムローン氏による各政党への異議申立て


これらは見える権力でこれ以上の見えない権力とは何なのか、また選挙結果と国民の意思に反してまで守ろうとする権力はどのようなものなのか、特殊階級、特権階級が財産と名声を維持したいのか、それとも何度もあったことだが交通事故等で人を死なせても特権階級は訴えれないという影響力を維持したいのか、マスコミもそろそろ<見えない権力>などという書き方を改めてはっきりと国民和解というロードマップに載せるべきという気がする。

まだ認証されていない議員の中にはジンラック首相とアピシット前首相もいてもしジンラック首相が認証されないときはタイで初めての女性首相も消え失せ女性首相の誕生を歓迎した各国元首を失望させやはりタイはアメージング・タイランドだと思われるだけではすまないような気がする。


2011/09/10

<ヤーマー>と<ヤーバー>

<ยาม้า>กับ<ยาบ้า>
  
どちらも麻薬のことでアンフェタミンから作る覚醒剤である。元々は<ยาขยัน ヤーカヤン>と呼ばれ勤勉薬ということで徹夜で仕事や勉強をする人のイメージで使われていたが、長距離トラックを運転する運転手や肉体労働者が馬力が出るというイメージから<ヤーマー 馬薬>に変わったようである。しかし力が出るというイメージでは中毒者が増えるということで時のチャワリット政権のサノー・ティエントーン内務大臣は気狂いになる薬なら中毒者も減るのではということで<ヤーバー 気狂い薬>という呼び名に変えたということである。

この名のとおり気が狂うようで9日にはバンコク都内のクリーニング店で店主夫婦の2歳の子供が薬で酩酊状態になった従業員の男(47)にナイフで刺され死亡したというなんとも言えない悲惨なニュースがあった。犯人が重罪になるのはモチロンのことだがこのような事件がなんども過去にありヤーバーが地方にも蔓延しているというのはここ何年かニュースになっていたはずなのになんら有効な措置もとらなかった民主党政権で治安担当大臣であったステープ・トゥアックスバン副首相の責任は大きいと思う。<パオバーン パオムアン>
家を燃やし街を燃やしたと連日のように叫び続け赤服グループを攻撃しただけで国民が一番重大に考えている麻薬問題を野放したこの人のおかげで民主党は選挙に負けたのだろう。

選挙後に行われたアサムプション大学のエーベックポールで国民は新政権に何をやってもらいたがっているかの順位は次のとおりである。

1,麻薬撲滅
2,和解をして平安無事な国になる
3,ガソリン価格を下げる
4,30バーツで医療が受けられる制度の復活
5,最低賃金1日300バーツの実現

※ 写真はヤーバーがタイに入ってくる経路である。


2011/08/28

<ピーヤイ>と<ナーイヤイ>


<พี่ใหญ่>กับ<นายใหญ่>
  
初めのピーヤイは大きい兄で長兄のこと、普通は階級に応じて上の人ならピーで下の人ならノーンと呼ぶようだが、こちらのヤクザ映画などを見ていると兄貴という感じで使っているようである。次のナーイヤイのほうはナーイが長、頭、主人、旦那という意味なので大旦那という感じかもしれない。今のところニュースでナーイヤイと一番良く呼ばれているのはタクシン元首相である。選挙以降はテレビにも出るようになり新聞でも紙面の半分を使ってインタビューを載せている新聞もある。これまでは直接出るようなことがなかったような気がするがやはり検閲に引っかかっていたのだろうか。今日の新聞ではアラブ首長国連邦のドバイにあるコーヒーショップで「人というのは友人といるべきで、もしいないなら今の私のようだ。一人でいるのは死ぬほど寂しくどこへ行けばいいのか誰と話せばいいのか、暇なときにいつも来るのがこの店なんだ」とタクシン元首相は心の中を語っている。しかし今回の選挙期間中の新聞を読んでいるといまだに影響力はまったく衰えていないようでナーイヤイそのものである。現在紛糾中の閣僚指名争いで不満のある議員はドバイ詣でをするということである。

写真は発売されたばかりの今週の週刊マティチョンでタイトルはเราชนะแล้วพี่จ๋าで訳せば「兄ちゃん私たち勝ったわよ」ということである。タクシン元首相は10人兄弟の長男で末っ子のジンラック首相とは18才の差があり自分の子どものように可愛がってきて一番信頼を置いているようである。


2011/08/25

<セークー>


<แซ่คู>

セークーと読みセーは漢字では姓でクーは丘である。タイに住む中国系の人たちで名はタイ風にするが姓はこのように中国風にする人も多いようである。1938年チェンマイで絹の商売で成功していたサックはセークーという姓をタイ風のチナワットに変えてサック・チナワットと名乗るようになった。サックの世代からチナワット家は華僑色を弱め同化の傾向を見せ始め官僚になるものもでてくる。このサックの孫がタクシン元首相で彼も丘達新という中国名を持っている。そしてアピシット前首相も客家で三国志で有名な袁紹と同じ袁(Yuan หยวน)という姓を持っている。

選挙の勝利宣言から連立する政党も決まり299議席で政権を運営していくことになったジンラック首相であるが、当初はビジネスを続けたかったようであるが今回が最もいい機会であるということでタクシン元首相に説得されたようである。この抜擢はタクシン元首相が予想した以上に国民の人気を呼び起こし圧倒的な勝利になったようである。しかし彼女の能力を疑う人もいるが仕事が出来るというのは確実だと思う。それは彼女もタクシン元首相と同じく客家の4代目だからである。

中国が清のとき1850年から1864年にかけて広東省、広西省から始まった太平天国ではこの辺りに住んでいた客家が中心になっている。太平天国の指導者である洪秀全は広東省花県の客家で主な指導者も同じく客家である。太平天国の軍は男性宿舎と女性宿舎がはっきりと分かれていて女性も戦闘に参加したようである。大切なのは客家の女性はそのころ中国にあった習慣であるてん足を絶対せずに働き者であったということである。

※ てん足、纏足
中国で、女性の足を大きくしないため、子供のときから親指を除く足指を裏側に曲げて布で固く縛り、発育をおさえた風習。唐末ごろに始まり、宋代から流行したが、清末に廃止運動が起こり、清滅亡後消滅した。


2011/08/23

<小政党>と<大政党>


<พรรคเล็ก>กับ<พรรคใหญ่>
  
選挙のあとの7月4日のテレビ番組「ジョカーオデーン」でチャートパッタナープアペンディーン党のスワット代表相談役は、7議席に減ったという悪いこともあったが連立与党に参加できいいこともあったのではという、番組進行役のソラユット氏の質問に間髪を入れずに、すべては国民にとって良いことで選挙が無事終わり民主党もあっさりと敗北を認めプアタイ党は過半数を得たことで安定するだろうし、今日の株価の上昇を見ると外国資本もタイが安定すると判断して投資も増えるだろう。しかし選挙結果を見ると中小政党にとっては厳しい状況でこれからは2大政党のもとで地元により密着した活動をやって行くしかないのではということである。

今回の選挙結果を見ると34議席のプームジャイタイ党はブリラム近辺で19議席のチャートタイパッタナー党はバーンハーンブリーとも呼ばれるスパンブリーが中心で7議席のパランチョン党はこれもガムナンポォが支配してきたチョンブリーで同じく7議席のチャートパッタナープアペンディーン党はチャートチャーイ・チュナハワン元首相から因縁深いコラートになるだろう。では2大政党はどうかというともちろん民主党は南部でプアタイ党は北部と東北部ということになり、バンコクはその時のフィーバーにより変わっていくということだろう。原因として考えられるのは制度上では今回からまた小選挙区制になったことに求められるが民主党が東北部イサーンに入り込めないのは、この党にあるエリート主義というか地方、田舎への差別と蔑視だと思う。おそらくアピシット元首相はイサーンのことはまったく分からないし理解しようともしていないだろう。民主党党首を辞めたあといずれは国連機関に行ったスパチャイ氏やアセアンに行ったスリン氏のように
国際機関へ行くような気がする。


2011/08/19

<喋ればしゃべるほどますます好きになる>


<ยิ่งพูด ยิ่งรัก>

今回の選挙期間中に見かけた雑誌の表題でジンラック女史が演説すればするほど好きになる人が増えてきたということをタイ語の基本文型であるยิ่ง...ยิ่ง~すればするほどますます~というのを使い語呂合わせをしているのだと思う。初めてスージット先生からタイ語を習ったときはยิ่งมากยิ่นดี(多ければ多い程良い)と習ったのを思い出した。

選挙の結果であるがまずは3日のテレビにでていたラックプラテートタイ党のチューウィット党首の話からする。当初は2議席がやっとだと思われていたが4議席になったチューウィット党首は気を良くしたのか民主党の敗因を述べていた。一番の敗因は国民の生活で一番大事な生活必需品の品薄と高騰を解決できなかったことで二番目は92人の死者をだしたことに対する責任をとっていないことだということである。これは敗因でプアタイ党を勝たせてしまった理由はプアタイ党とジンラック首相の一番の欠点を45日間の選挙期間中の当初から攻撃せずに終わりの頃にやっと始めたということである。一番の欠点とはタクシン元首相で彼の考えではジンラック首相はタクシン元首相とDNAを同じくするクローンであるということである。今のところはそうだとしても何ヶ月か先には変わってくるだろう。

タイの未来を決める大切な選挙結果はプアタイ党265議席、民主党159議席でプアタイ党は過半数を超えてタイで初めての女性首相が登場することになる。有権者数は4,700万人でその内の74%の3,480万人が投票に参加したということである。
この5年間、タイの人たちを無視して好き放題にしてきた「見えない権力」は何らかの方法を考えていると思うが3,480万人の意思を無視するなら今回こそは墓穴を掘ることになると思う。


2011/08/14

<同じ空のもとでのタイの未来>


<อนาคตประเทศไทย ใต้ฟ้าเดียวกัน>
  
写真は71日にバンコクの2ヶ所で開催された民主党とプアタイ党の最後の選挙演説でこの時の民主党のスローガンは<同じ空のもとでのタイの未来>ということで民主党には学者と法律家が多いと聞いていたが詩人もいたのかと思うようなスローガンではある。ちょうど夕方の5時に始まったときには雨が降り始め両首相候補が舞台に上がる7時には大雨になってきたが、東北部126議席、南部53議席を両党がどれだけ獲得できるかは予測できているはずで大切なバンコクの36議席を獲得するために雨の中での最後の演説で国民に訴えている二人を見ていると選挙は本当にいいなと思いを深くした次第である。

政治を変えるのは選挙であって戦車ではないはずと強調したのはプラティープ女史であるが、2006919日に戦車をバンコクに入れた当時のソンティ陸軍司令官はマートゥプーム党を結成して党首になっているが、今回に選挙運動期間中のテレビのインタビューで戦車をバンコクに入れたのは民主主義に基づいた改革だと言っていたので驚いたことがある。戦車のあとにはテレビのすべてのチャンネルが真っ暗になり少しすると今まで見たことのないアナウンサーが出てきて声明を繰り返して読み上げている。今回調べるとアナウンサーはプラパート氏でクーデターの声明を何度も読み上げたことのある有名なアナウンサーだということである。他のチャンネルに変えても同じ画面で好きなチャンネルを見ることができるのが民主主義だとすれば戦車でなく選挙で国の指導者を選んで欲しいというのがタイの人たちすべての願いだと思う。


2011/08/13

<タイのビジョン 2020年>


<วิสัยทัศน์ ประเทศไทย 2020>

すべての尊敬して愛するタイの兄弟達へ、そろそろ投票日です。国の経営を担う各々政党が国と国民をどの方向に連れていこうとしているのか兄弟たちは知りたがっていると思う。そこで私(ジンラック候補者)は先進国と競争ができる2020年のタイのビジョンを示すことにしました。今回の選挙でプアタイ党が公約する政策をプアタイ党のもとで継続してできるなら2020年にはタイはどのようになっているのかは次のとおりです。

1,GDP8,000億ドルになり国民のすべてが貧困ラインを超えた収入を得ている。すべての家族は家を持つことができ農民は自身の土地で生活することが出来ている。

2,1日の最低賃金は1,000バーツになり大卒の新入社員の給料は30,000バーツになっている。

3,すべてのタイ人は健康で安全な食料があり最新医療を受けることができ、全国どこでも運動とスポーツができるようになる。そして麻薬は撲滅されている。

4,若者は道徳と美徳をともなった最新の教育を受けることが出来ている。

5,起業家と実業家は現在の2倍になっている。

最近のタイ字紙マティチョンに掲載されたプアタイ党の2020年における構想であるが、未来を語れるのはいいことだと思う。9年先のことであるが自分の子どもが大きくなっていくタイ社会がこのようになっていたらとつくづくと願ってやまない。写真はまたジンラック女史が子供を見つめている写真にした。いろんな選挙演説における彼女の写真を見たがやはり子どもを見ているときが一番いいように思う。多分彼女もこの子供たちの未来を考えてビジョンを作ったのだと思う。


2011/08/08

<棄権投票 Vote No >

<โหวตโน>
  
パンタミット(黄服集団)がやっている選挙キャンペーンで写真にあるスローガンは「野獣を放して議会に入れるな」ということであるが、犬、オオトカゲ、水牛はタイの会話の中で相手を罵る言葉として使われるので分かるのだがサルとトラは付け足しのような気がする。選挙管理委員会はこれらのポスターを違法として撤去しようとしているようだが効果はないようである。棄権投票はまだましで過去には議会制民主主義のもとでの政党にもかかわらず選挙候補者を立てずに選挙を無効にさせてしまった政党がある。
2005.02.06  タイラックタイ500議席中の375議席を獲得して選挙で圧勝
2006.02.24 強力な政党を嫌う圧力のもとに下院解散
2006.04.02 民主党がボイコットをした下院選挙
2006.09.19 クーデター

2005年の選挙で96議席と大敗した民主党は選挙では勝てないのを悟ったのか2006年の解散選挙をボイコットしてしまう。この時期はタイラックタイを率いるタクシン元首相の強権政治に嫌気をさす国民も出始め選挙ではどのような結果がでたかもわからないにもかかわらず民主主義の基本である選挙をボイコットした民主党はこれ以降は選挙以外の権力または民主主義の外にある権力に依存していくようになっていく。今回の73日の選挙に向けて民主党は敗北を意識したのかそれまでの政策キャンペーンを和解からはほど遠くなるネガティブキャンペーンに変えた。タクシン元首相を攻撃するだけで国と人々の未来を描き出せない民主党は2006年の選挙をボイコットした時点で下院議員も選挙ではなく任命制によるというパンタミットの考えに傾き民主主義を放棄したのかもしれない。


2011/08/06

<コメは入手し難く木の実は高価>


<ข้าวยากหมากแพง>

最近の新聞によくでてくることわざで「コメは入手し難く木の実は高価」
という訳になり食料が少なく物価が高いという意味である。
Maakはキンマと一緒に噛むビンロウジと思っていたら本来の意味は
木の実だということである。食料自給率150%のタイで食べ物が
不足しているとは考えられないのだが、アピシット政権では実際に
食用油と卵がスーパーの食品棚から無くなったことがあった。

選挙運動も最後のカーブにかかり各党の党首は選挙応援演説で
各地を回っているが、これまでは警察と軍のガードに囲まれ国民と
直接に接したことがなかったアピシット前首相はここに来て国民から
演説中に罵声を浴びているということである。一つは物価の問題で
もう一つは昨年の赤服集会を鎮圧した際にでた91人の死者と
2,000人の負傷者そして未だに刑務所にいる300人の逮捕者、
特別調査委員会を立ち上げ1年間もの期間を調査しても
誰が命令をして誰が国民を殺したのか分からないということである。

アピシット前首相の答えはいつも赤服集会側に黒服を着た訓練を
受けたガードがいて彼らが発砲したので軍は発砲し返したという
あいまいな返答ばかりで黒服のガードが逮捕されていない状況では
このまま真実を隠し通そうとする意思が国民にはみえみえのようである。

どうして国民に向けて発砲したのか、どうして実弾を使ったのか、
いったい誰が命令を出したのか、アピシット前首相はどこに行っても
国民から問い詰められるし、また生涯をかけて問い詰められる
重大なことで彼がどこまで答えられるようになるかという重大な
選挙だと思う。


2011/08/01

<おしゃべり >と<行動>

<พูด> vs <ทำ>

市場をぶらぶら歩いていると新聞を売っているカウンターに
雑誌があり<พูด> vs <ทำ>という大見出しが目についた。
これは73日に行われる選挙に関してのことでおしゃべりは
民主党で行動はプアタイのことである。プアタイの首相候補が
タクシン元首相の妹ジンラック女史になったことにより民主党
の党首であるアピシット前首相はさっそくディベートをしようと新聞紙上で
誘いかけたようである。しかしなんら政治経験もないジンラック女史が
ディベートに自信があるアピシット前首相に敵うわけがなく
プアタイではディベートではそれ以上に迫力があるチャローム氏を
たてようとしている。このディベート上手であるが国民に言わせると
民主党はおしゃべり上手で行動がないということである。

この1年間、新聞から遠ざかっていたがここに来てやっと新聞を
読むようになり社説が面白いということでマティチョンを毎日買って
読んでいる。519日にラーチャプラソンで開催された赤服集会
1周忌を受けた20日のマティチョンの社説をかいつまんで書くと
次のようになる。

昨年の518日までには政府と赤服双方で和解に向けた話し合いが
進んでいたのにどうして政府は急に武力で鎮圧したのか、その結果、92
もの死者を出してしまった。そして1年経つのに真相は隠されたままである。
今回の選挙が民主党とプアタイとの対決だと考えるのは間違いで
真相を隠し通そうとするグループと真相をはっきりと国民に知らせるのが
当然だと考えるグループの対決の選挙であるということである。


2011/07/29

<カティヤ>と<カティヤー>

<ขัตติยะ>กับ<ขัตติยา >

前のほうは2010513日に赤服集会で狙撃されて亡くなったカティヤ・サワディポン少将で次は彼の一人娘であるカティヤー・サワディポン弁護士である。名前の最後が短母音と長母音という違いだけで面白い名づけ方もあるものだなと思ってタイの友人に聞いてみると、それほど珍しくもないということで短母音のカティヤは男の名前でカティヤーと長母音になると女の名前になるということである。
おそらくカティヤ少将は目の中に入れても痛くないほどに一人娘を可愛がっていたのだろう。父親は赤服を応援して娘は黄色の集会に参加していたということである。

カティヤ少将の履歴を見ていると軍人になってからチュラーロンコーン大学教育学部、シーパトム大学法学士、ニダー・ビジネススクール社会開発学部修士、ラムカムヘーン大学経済学士、フィリピンの大学の経営学部博士と軍とは関係のないような勉強ばかりをしている。いったい軍人生活と学生生活をどのように両立させたのか不思議なところである。カティヤ少将にとってラーチャプラソンの赤服集会はお祭りではなかったのかという気がする。集会場にはいろいろな店が出ていて小さい頃に絶対行ったはずであるお寺の祭りを思い出していたのではないだろうか。そして悲しいことにカティヤ少将が狙撃されて祭りは終わり、新しくテロとの闘いが始まったということだろう。おそらくバンコク住民にはお寺の祭りに行くような余裕はなくなりタイはタイではないようになっていくのだろう。

カティヤ少将のニックネームはセート・デーンである。セートはセーナティガーン(参謀)から来ていてデーンは赤であるが、日本のマスコミにあるように「赤の参謀」ではなく彼の生れたときからのニックネームが一般的なデーンなので「デーン参謀」と訳したほうがいいという気がする。


2011/07/26

<タムルアット マクアテート トマト警官>と<タハーン テングモー スイカ軍人 >

<ตำรวจ มะเขือเทศ>กับ<ทหาร แตงโม>
  
2010年3月から5月まで続いた赤服の抗議集会を取り締まる緊急対策指揮本部の命令に対してギアーをニュートラルにして動きが止まってしまった警官と軍人が出始めた。そのうえに緊急対策指揮本部の情報がこれらの警官や軍人から赤服側に漏れていたということである。トマト警官とは赤服シンパの警官のことで
すいかは表面が緑色で軍服で中が赤いので、これも赤服シンパの軍人のことをいうようである。軍では階級が上の軍人には浸透していないようだが、警察では階級が上の警官まで浸透しているということである。
ちなみにトマトとすいか以外にもドリアンとパイナップルがあり、これらは表面は緑色だが中は黄色なので黄服シンパということになる。


2011/07/24

<大・中選挙区>と<小選挙区>

<เขตใหญ่เรียงเบอร์>กับ<เขตเดียวเบอร์เดียว>


1997年の民主的憲法と呼ばれる憲法の下でおこなわれた2005年の下院選挙は、1地区あたり1議員という小選挙区制度でおこなわれタクシン元首相が率いるタイ愛国党が500議席のうちの375議席を獲得してタイ政治史上ではじめての1党で過半数以上の議席を獲得できる政党が出現した。

2007年に改正された憲法をもとにおこなわれた最新の2007年の下院議員選挙は中選挙区でおこなわれた。ひとつの県で1議員を選出したラノーン、サムットソンクラーム、シンブリー、トラートからバンコクでは36議員を選出している。バンコクの場合は12地区に分け1地区あたり3議員なので平均すると1地区あたり3議員を選ぶ中選挙区制度になる。

タイ愛国党が勝利したのは票の買収がおこなわれたと考える層により、票の買収ができにくくなる中選挙区制度に変わったわけだが、これは選挙区が広くなり選挙人が多くなると買収する額が増えて買収が少なくなるという発想だと思う。たとえば下院議員選挙ではないがバンコク都知事選でみると、もし2000万バーツという買収資金があり1票あたり200バーツで買収すると10万票を獲得できることになる。しかしバンコクの当選票数は約100万票なので買収しても仕方がないことになる。極端な例になったがいずれのせよ小選挙区で選挙人が少ないと票の買収が簡単になるという数字をもとにした主張で選挙のたびに票の売買がおこなわれる貧困、教育という視点が欠けた主張だと思う。

2011/07/19

<仏法救済協会>or<公正な救済協会>

<มูลนิธิธรรมรักษ์>


先日、友人と市場で待ち合わせていると市場内の空き地に一人の僧侶が腰をかけその周りには人だかりがあった。どこかで見たことがあるお坊さんだなと見ていると、その人は以前に2度ほど行ったことがあるロッブリー県にあるプラバートナムプ寺のアロンゴット住職だった。以前に住んでいた街でも住職のビラを見たことがあるし、今回も駐車してあったバイクのかごにのっているビラには気づいていた。どうして各地を回っておられるのか不思議に思い調べてみるとやはりこの時勢で寄付金が集まらず自身で各地を回っておられるようだ。お布施をするとぼくの手に触れながらお経を読んでくださった。朝のお布施でもお坊さんのお経を聞いていると安らぐという気がするのだが仏とは安らぎのことかもという気がしている。

プラバートナムプ寺の中にある仏法救済協会では18年前から行き所のないエイズ患者を引き取り治療を施しエイズで両親をなくした孤児を引き取って育っている。この寺にいるエイズ患者とエイズ孤児は約2千人で月々にかかる費用が300万バーツで政府からは1ヶ月10万バーツの援助しかなく、信者からの寄付に頼っていたが、それも経済の落ち込みで1ヶ月20万バーツそこそこに減り住職は毎週のようにバンコクや地方へ寄付を募る托鉢にでかけているということである。ちなみにアロンゴット住職はオーストラリアの大学の工学修士号をとっているがエイズ患者を救うために寺に入ったということである。


2011/07/17

<いじめっ子>と<いじめられっ子>

<ผู้รังแก>กับ <ผู้ถูกรังแก>

日本では多くのいじめが多くの人を傷つけていると思う。緩やかな国タイでは、そのようなことは少ないと思っていたが、4年前の統計ではいじめられる子供の数は日本についで2番目であるということである。
日本では60%の子供がいじめにあっていてタイは40%で2番目になり英国とアメリカが20-25%で続いている。これはバンコクだけの統計で地方ではこんなはずはないのではと願っていたが、この統計はバンコク、ノンタブリー、ロッブリー、チョンブリー、コーンケーン、ソンクラー、チェンマイの先生1,300人と小学4年から中学2年までの3,047人を対象とした統計である。

いじめ社会では<いじめっ子>と<いじめられっ子>以外に<ผู้เชียร์=応援する子>と<ธระไม่ใช่=見てみぬふりをする子>がいるようだ。


2011/07/16

【ハイソー=high society】

ไฮโซ

ハイソーは上流社会という意味だけだと思っていたが、そうでもないようで上流社会という以外にも高級な、上級な、水準を越えている、といろいろな使いようがあるようである。
งานการกุศลคืนนี้มีแต่พวกลูกหลานไฮโซ 「今夜のチャリティーパーティーは上流社会の子供たちばかりだ」となると上流社会という意味になるが、กระเป๋าใบนี้ดูไฮโซมากแต่ราคาไม่แพง 「このかばんはハイソーのように見えるが値段は高くない」となると高級な、上級なという意味になる。
またรายงานชิ้นนี้ไฮโซจริงๆยังกับเปเปิ้อร์วิจัยแน่ะ「この報告は研究報告としては水準を越えている」となると水準、標準を越えているという使い方になる。

インターネットでハイソーを見ているとダルニー・グリットブンヤーライという人が出てきて、この人はOishiグループをはじめ各種の事業に参加してテレビ、映画にも出たことがある人で10年間にでた社交パーティーは2000-5000回というタイでは有名なハイソーのようである。しかし出身が東北地方のノーンカーイで両親はベトナムと中国系ということである。この人も言うように「私は成り上がりのハイソーでタイでの本当のハイソーは王族の子孫でなかれば」ということである。