2012/08/21

<ความเจิงเพื่อความยุติธรรม>


<正義のための真実>

9月1日に<ความเจิงเพื่อความยุติธรรม>という1,000ページくらいある本が出版される。2553年の赤服集会鎮圧事件の報告書で、事件から2年4ヶ月が過ぎてもカーオソット紙が出版した事件を説明する雑誌のようなものがあっただけで、これだけの報告書は初めてだろうと思う。本来はアピシット前首相が事件後に設立した
คณะกรรมการอิสระตรวจสอบและค้นหาความจริงเพื่อการปรองดองแห่งชาติ (คอป.) コー・オー・ポーという国家和解真相究明独立委員会がこのような報告書を出版すべきだと思うのだが、8月中には最終報告書が出ると新聞には出ていたと思うが何らかの事情で遅れているのだろう。<ความเจิงเพื่อความยุติธรรม>を正義のための真実と訳したがความยุติธรรมには公正、公平という主な訳語があるので公正のための真実としてもよいと思うが、それでは真実が出てきたあとの行動に対する重みがないので<正義のための真実>とした。
司馬遼太郎がイデオロギーという言葉を正義の体系と否定的に訳したことを考えると余り正義という言葉は使いたくなかったのだが、また真実をもって正義を判断する裁判所や独立機関である人権委員会が不公平である現在のタイの状況を考えると正義というもともと重みのない言葉は政治抗争の中で吹き飛んでしまったのだろう。

今回の抗争の中で集会をやった赤服としては、選挙の結果ではなく異常な方法で政権についた民主党アピシット政権を解散させ選挙をやることが真の民主主義で正義だったのだろう。一方、鎮圧をしたアピシット政権としては選挙の結果でできる政権が民主主義であるのは分かっているとは思うが自分たちの利権と利益を守るためには民主主義をやっていると自分たちの正義が守れないのでクーデターでもなんでも利用して政権につこうとしているのだろう。さてこの本を出版したソー・ポー・チョーという団体は集会鎮圧事件後に事件に疑問を持った少数の若者たちが始めたということである。
ศูนย์ข้อมูลประชาชนผู้ได้รับผลกระทบจากการสลายการชุมนุม กรณี เม..-..53 (ศปช.)
集会鎮圧で被害にあった人たちの情報センター 2553年4月から5月
また表紙にある数字が何を表しているのかは次のとおりである。
これらの数字を見ていると真実はなんと恐ろしいのかと感じる。いったい何のためにこのような数字が出る事件が発生したのか、裁判の結果がどのようになってもこれらの数字ははっきりと歴史に足跡を残したのであって決して消し去ることができない数字だと思う。

94 死者数(今のところは98人になっている)
7  女性の死者数
87 男性の死者数
32 頭を撃たれた死者数
14 最年少の死者14才
76 一般市民死者数
1,283 負傷者数
117,923 使用した銃弾数
2,120 スナイパーが使用した銃弾数
3,000,000,000 軍が使った費用
67,000 投入した軍人数
700,000,000 警察が使った費用
25,000 投入した警察官数
1,857 逮捕された人数
1,763 56ヶ所の裁判所で裁判を受けている人数
167 18才以下の裁判人数


2012/08/08

<3จัวหวัดชายแดนภาคใต้>


<タイ深南部><最南部3>

タイのマスコミには続けて南部問題おもにテロ事件に関したニュースが増えてきている。また8月1日から開催した通常国会では、野党民主党によるインラック首相にたいする不信任動議が検討さていて不信任の項目の一つとして南部問題が取り上げられそうである。政府閣僚はそのような状況になれば反対に民主党政権のときに99日間で南部問題を解決するとした公約がまったく実行されなかったことを追求し返すということである。
タイのマスコミでは事件が起きている場所をタイトルにした<จัวหวัดชายแดนภาคใต้>としている。そして日本語のマスコミはこの言葉を<タイ深南部>としていて、ぼく自身もこれまでの記事では<最南部3>としているが、よく考えてみるとおかしいという気がする。深い南部ということはバンコクからは遠くはなれている中央とは関係がないというイメージにつながっていくと思う。

7月中に起きた事件は85件で銃撃戦32件、爆弾事件19件、放火事件6件、Car Bomb3件、そして死者42人、負傷者96人である。この間9年間で起きた深刻なテロ事件は1万件以上に及び平均すると1日あたり2.7件の重大な被害をもたらす事件が起きており、死者総数は5千人を超えたということである。
またこの9年間で政府がつぎ込んだ予算は1,610億バーツということで、これだけの予算と犠牲を払いながらテロ事件がない平和な地域に戻るのか、いろんな解説を見ていると糸口さえも見つけ出せてないのではないだろうか。パッタニー王国を理想とする分離主義者の仕業という見方があれば、民主党のように麻薬密売業者、人身売買組織、非合法燃料売買組織、関税を支払わない不法商品を取り仕切っている組織がやっているという認識もあり、はっきりとした鎮圧する相手が浮かんできていないという気がする。いずれにせよ分離主義者は中央からの不公平、差別、格差の解消を要求して分離しようとしていて、パッタニー王国があったころは反対にこの地域がマレー半島の中央であったという認識を考えると<タイ深南部>ではなくタイ語通りに<南部国境3県>と訳したほうがいいという気がする。




2012/07/31

<ประชามติ>


<国民投票>

2012年8月1日に通常国会が開催される。この間にマスコミで話題になっているのは前回の国会で議論された憲法改正のことで、第3読会の決議まで行ったが憲法裁判所から横槍が入って止まったままになっている第3読会の決議を続けるのか、それとも憲法裁判所の提案である国民投票をやってから決議をするのか、もしくはこれも憲法裁判所の提案である憲法の条項ごとに国会で討論して改正していくのか政府はまだ判断していない状況である。国会における憲法の条項ごとによる改正となると憲法草案議会を作って新しい国民憲法を作るとしていたプアタイ党そして政府の公約は達せられなくなるわけであるが、今の状況を判断すると政府は国民の生活向上と国の前進に向けた政策を推進していくには慎重にならざるを得ず、結果としては国民からは後退しているように思われるかもしれないが、国民の未来を握っているのはインラック政権で野党民主党また憲法裁判所は反対するだけで何らの決定権がないのははっきりとしている。

さて憲法裁判所を始めとして2550年のクーデター憲法を死守しようとしている勢力が主張する、この憲法は国民投票を経た憲法で全面改正には国民投票を行なって国民の意志を問うべきであるという意見であるが、この国民投票がクーデターで布告された戒厳令が全国の半分近くになる35県で続いていたことに見られるように軍の監視下というか銃のもとで行われた国民投票でありボイコット呼びかけるいかなる行為も法律により禁止されたいてという事実を隠して2550年憲法の正当性を主張するのはごまかし以外に何者でもないという気がする。国民投票結果の数字を見るとぎりぎりで通ったという気がする。また地図にある各県における賛成と反対は緑が濃くなるほど賛成で赤が濃くなるほど反対である。地図をよく見ていると気づくのは深南部3県は薄い緑で南部中部は濃い緑になりクーデター憲法を支持した民主党の影響力が南部中部で強いということがわかる。また北部と東北部で反対である赤色になっていくのは、この時期はまだノーポーチョーを中心とした赤服集団はそれほど組織化されていないのでクーデターに反対するタクシン派だと思っていいだろう。そして注目すべきは東北部にあるナコンラチャシマーとブリラムが薄い緑で賛成票が多かったということである。はっきり言って人口の多いこの2県がクーデターに反対していたら国民投票は逆転していただろう。

2550年8月20日の国民投票結果
 

投票者総数    25,978,954 57.61%
不投票者総数 19,114,001 42.39%
有権者総数    45,092,955

賛成 14,727,306 57.81%
反対 10,747,441 42.19%
合計 25,474,747


2012/07/13

<ตุลาการภิวัฒน์>


<司法強調主義>

最近の新聞等でよく見られるタイトルにしたตุลาการภิวัตน์をどのように訳せば良いのか長い間考えていてWebのアップデートも止まってしまったわけである。辞書で調べるとjudicial activismという英語での訳しかなく仕方なく司法強調主義としたが、他にも訳し方があると思うので書いておく。
司法積極主義、司法反民主主義、司法独断主義、司法独裁主義、司法ファシズム、もしもっと適切な訳し方が分かれば変えていくつもりである。

司法強調主義がはっきりとでているのは憲法裁判所による一連の反タクシンまたは反民主主義の判決で7月13日の午後にはこの間の国会における憲法改正行為が憲法違反になるのか憲法裁判所による判決がでる。今回の経過を見ているとまともな人には到底見ていられないような憲法裁判所というひとつの司法機関が立法権を侵す行為で民主主義を願う国民の意志を踏みにじる行為だと思う。
9人いる判事のうちの一人は適切な判断ができないということで判事団から抜け、残る3人も同じような判断で抜けたかったようだが抜けるわけには行かず8人の判事で判決を決めるわけになったわけであるが、もし4対4になればどうなるのか、その時には当日1人が病気で欠席するということが囁かれ、モップによる抗議を恐れて憲法裁判所にはいつでも脱出できるようにブラックホークが用意されているというのを聞くと、すべてが田舎芝居に思えて仕方がない。


2012/05/23

<ต่างจังหวัดตั้งรัฐบาล คนกทม.ล้มรัฐบาล>


<地方が政府を作りバンコクが政府を倒す>

このタイトルが言う過去の出来事は2549年から始まったパンタミットの集会がバンコクを騒乱状態にしたことにより、対立を解消して鎮静するという口実を与えクーデターが起こったことを指しているのだろう。この時の政府タイラックタイ党は地方特に東北部と北部を大きな基盤とした政党でパンタミットはバンコクに住むアマートと呼ばれる反動勢力を基盤にしていたからであろう。

5月18日に憲法裁判所の判決で議員資格を剥奪されたジャトゥポーン議員の事件は、民主党に利用されプアタイ党を解党にする第3回目の陰謀計画が始まろうとしているようである。しかし各新聞によるともし最悪プアタイ党が解党されてもインラック首相を始めとする主要メンバーは党首及び執行委員ではないので、新しい政党のもとに結集して政権を維持できるということである。また前回のネーウィングループのように党を抜け出て民主党と手を握るというグループもいないし、100人位の動員力しかなくなったパンタミットが空港を占拠することも不可能で、サマック元首相のように料理番組に出ている人もいないので大丈夫だということである。その上に前回のようにパンタミットがバンコクで集会をして騒乱状態にしたことをバンコクを愛するというか利益を得ている人たち反動勢力は拒否しているようである。しかし前回2回の解党を見ていると100人以上の党員が5年間の選挙権を剥奪されるのは予想されることで政治が遅延することは逃れることはできないだろう。これら100人の人達は国民から選ばれて国政を担当していた人たちで、プアタイ党も選挙で選ばれて政権を担当している党である。それを国家の一機関である憲法裁判所が3回も解党して仕事ができなくなるということは、国民への裏切りで憲法違反よりも重い罪になるのではないだろうか。もし今回も解党という判決が出るのなら今回こそは裁判官の意志より国民の意志を重視して解党判決は聞き流すのが一番だと思う。


2012/05/16

<จ่าสูทแดง>


<赤いスーツの警察准尉>

5月14日に国会において15日目になった憲法改正論議第2読会が終了した。次は憲法の規定通りに15日後に第3読会で採決が行われて全国で...の選挙があり各県1人の77人と指名の22人が選ばれ憲法草案議会が動き出すことになる。15日間の論議は主に委員会提出の291条26項目に対して野党民主党と一部上院議員が修正案を説明するということで行われたわけであるが、修正されたのは291/5だけで残りはすべて委員会の案が通ったことになる。2550年憲法を破棄することになる新憲法で反対派が一番こだわっていたのは司法制度と独立機関の存続だったと思う。そして民主党はさっそく国家調査員委員会と憲法裁判所に対して今回の憲法改正が憲法違反であると訴えるようである。

憲法改正論議第2読会は委員会の案に反対する野党民主党と一部上院議員が修正案を説明するということで与党であるプアタイ党の議員の出番は投票のときに委員会案に賛成するか、反対派が用いた説明の引き伸ばしや案から外れた論議になったときにประท้วงと抗議するだけだったようである。しかし論議の進行には必要な事項で野党民主党の論議を野放しにしていると新しい憲法がタクシン元首相とそのグループのためだけに作成するのだという論法で終わりがなかっただろう。では2550年憲法がタクシン元首相とそのグループを追い出すための憲法であったということについてはどう考えているのかおそらく誰も語れないであろう。

さてประท้วง抗議の回数が一番多く目立っていたのがのがプアタイ党のจ.ส.ต.ประสิทธิ์ ไชยศรีษะプラシット・チャイシーサ議員である。スリン県選出の議員で元警察准尉である。この人が国会に赤いスーツを着てくる時は上から下まですべてが赤で携帯電話も赤ということである。父親がスリン県の一つの村の村長で民衆を愛した父親の影響で警察官になり政治家になり民衆のために仕事がしたいということである。国会議員にしては財産が少なすぎる人であるが持っている2台の車のうちの1台はクボタの耕運機ということである。


2012/05/02

<ยิ่งลักษณ์ทัวร์ปัตตานี>


<インラックパタニーツアー>

4月29日にはユッタサク副首相、プラユット陸軍司令官と共にパッタニー入りしたインラック首相は深南部の地域指導者と宗教指導者と出会い、政府が深南部の正常化と経済活性化に向けて真剣に取り組んでいるということを説明したようである。それに対して宗教指導者はこの時期の不安定で危険な深南部に首相自らが来たことを感謝するとともに、2年8ヶ月の民主党政権のときにアピシット前首相は深南部に一度も足を踏み入れたことがなかったと語った。またこの前日にはヨンユット・ウィチャイディト 副首相兼内相、キティラット・ナ・ラノーン副首相兼財務相、ナタウット・サイグア農業副大臣がヤラーに先入りして深南部から集まってきた政府関係者、実業界の人たちに対して深南部においての経済活性化を図る政府の政策を発表した。特に3年後のアセアン経済共同体に向けたイスラム教徒が食べられるハーラル食品を作る工場の拡張と南部のシンボルであるゴム園の拡張について説明していた。現在のところタイ全国でゴム園は1,800万ライあり、国に与える収入は6,800億バーツで2556年には1兆バーツにもなるということである。この3人の閣僚を見るとヨンユット・ウィチャイディト 副首相兼内相はスラータニー出身でナタウット・サイグア農業副大臣はナコンシータマラート出身で二人とも南部の人である。そしてキティラット・ナ・ラノーン副首相兼財務相は名前が示すとおりにラノーンには深い関わりがあり、ラッタナコーシン初期に中国から移民してきた子孫である。また先祖はマレーシアからゴムの木を持ってきてトランに初めて植えた人であるということである。

インラック首相の深南部入りについては、さっそく民主党のチャワノン報道官は、首相の深南部入りはいいことだがハジャイとヤラーでの同時爆発はタクシン元首相がマレーシアにおいて分離主義者と話し合ったのが原因であるという、まったく根拠のない情報をもとにした作り話を否定されても、嘘だというのが証明されても使っているようである。その上に民主党の根本の認識ではテロをやっているのは分離主義者ではなく、麻薬密売業者、人身売買組織、非合法燃料売買組織、関税を支払わない不法商品を取り仕切っている組織がやっているということである。


2012/04/30

<นโยบายเร่งด่วน>


<緊急の政策>

2554年8月にインラック政権が発表した初年度における緊急の政策は16項目あり、その中の16番目は次のとおりである。
16.เร่งรัดและผลักดันการปฎิรูปการเมือง 政治改革を急いで推し進める。
この政治改革こそが新しい国民憲法を作っていくことで、2月には閣僚案、下院の与党議員案、チャートタイパッタナー党案の3案が国会に提出された。3案共に2550年憲法の291条を改正して憲法草案議会を立ち上げることでは一致していたようである。2550年憲法は291条において一部の修正しか認めていず憲法草案議会を立ちあげて新しい国民憲法を作るには291条の改正が必要なようである。

291条3 改正動議は改正憲法案として提出しなければならず、国会が三読会にわたり審議する。

しかしこのやり方が正しいのかどうかは、最後に行われる国民投票で判断されるのかそれとも国民投票の前に憲法裁判所が判断するのかどうなるのだろう。2550年のクーデター憲法を作った人たちはいずれはこの憲法が破棄されることを予想していたと思う。故に291条という解釈しにくい条項を入れたような気がする。

いずれにせよ国会では賛成399、反対199で291条の改正はとおり、プアタイ党のサーマート・ケーオミーチャイ委員長のもとプアタイ党議員19人、民主党議員11人、プームチャイタイ党議員2人、パランチョン党、チャートタイパッタナー党、チャートパッタナー党各1人、上院議員選挙選出7人、上院議員任命選出3人の合計45人で憲法改正草案検討委員会ができた訳である。そして委員会が作成した291条の改正案の論議が国会における第2読会で続いていて民主党と一部の上院議員が反対の修正案をだして論議をしているところである。来年には出来上がる新しい国民憲法であるがどのような憲法ができるかは今のところ分からないが与党が省きたい2550年憲法でのおもな条項は次のとおりである。

111と114条 上院の任命について
206条 有識者判事の選出
237条 政党幹部が関わった不正選挙による解党
265条 国会議員の禁止行為
266条 国会議員の干渉禁止事項
309条 クーデタ体制下の施策に対する訴追不可


2012/04/27

<รดน้ำดำหัว>กับ<รดน้ำเถ้ากระดูก>



<ロットナームダムフア><遺灰に水を注ぐ>

4月26日、バンコクのシーサオテーウェートにあるプレーム・ティンスラノーン邸に首相と3人の副首相が訪れソンクラーン新年の議式の一貫であるダムフアがおこなわれた。この儀式は密教にある灌頂によく似ていて師が弟子の頭に聖水をかける儀式である。ソンクラーンはインドから来た習慣なので仏教の儀式のようにも思われるが、キリストがメシアという意味で元来は頭に油を塗られたものが王になったというのが救世主の意味になったことを考えると、この習慣はインドとユダヤとともにメソポタミアから始まった習慣という気がする。今回のダムフアは進み始めているプローンドーンをより押し進める行為のようである。

一方、赤服集会があったラーチャプラソーン交差点では、この時の集会鎮圧の犠牲になったガモンゲート・アッカハート看護師ボランティア、通称ノーンゲートの27才の追悼誕生日集会で母親のパヤオ女史はノーンゲートの遺灰に水を注ぐ仏教の儀式をやっていた。ノーンゲートは赤服集会には直接の関係はなかったが、看護師の仕事をやっていたのでボランティアとして2553年5月19日の集会鎮圧の時にはワット・パトゥムワナラームで鎮圧で負傷した集会参加者を助けていた。そして夕方の赤服集会解散宣言で集会が終わったあとワット・パトゥムワナラームで他の参加者5人とともに射殺された。事件から2年という時が過ぎているにもかかわらず事件の調査は30%しか進んでいないということである。集会における声明では政府が推進するプローンドーンには賛成だが、集会の鎮圧を戦争兵器を使用して実弾を使うという司令を誰が出したのか、その指令者をプローンドーンという和解案に入れるのは反対だということである。タクシン元首相のプローンドーンでは、すべて忘れてしまいましょう、ということでカンボジアでの集会以来は政府も法案作成に向けて力を入れているようだが、確かに2549年のクーデターから数えるとタクシン元首相の海外生活は6年目に入り早くタイに帰国したいという気持ちはわかるが、ここで慌てて集会で亡くなった91人の犠牲者の気持ちを無視してプローンドーンを推し進めていくと赤服との関係にもヒビが入るような気がする。


2012/04/25

<ส.ส.กดบัตรแทนกัน>


<代理投票議員>

このタイトルも直訳では分かりにくいので意訳としました。4月24日で7日目に入った国会における憲法改正論議であるが、24日は291/5条の論議で..3憲法草案議会議員の各県から1人の議員を選ぶ選挙を取り仕切るのは選挙委員会で、使う法律は2540年の上院議員選挙法ということで決まった。また選挙で不正があった場合は、15日以内に選挙委員会に訴え選挙委員会は30日間で検討して訴えを受理する場合には、最高裁判所選挙訴訟部が判断することになった。

291/5の論議には7日間のうちの3日間をかけたようである。これだけの時間がかかるのは憲法という国家と国民にとって一番大事なルールで各議員が慎重になっていることもあると思うが、与党による国会での多数を使った早急な決議を恐れる野党民主党が論議を引き伸ばしているのは事実だと思う。そして民主党の主張を聞いていると国会での憲法改正論議は支持者である国民の手前はやらざるを得ないが、この憲法改正はいずれは憲法裁判所でクーデター以降は不公正な判断を繰り返し続けている司法勢力により憲法違反ということでひっくり返ると思っているようである。

また24日の国会での論議ではローサナー・トーシトラクーン上院議員から決議の際に与党側議員による代理投票があったとしてこれまでの決議はすべて無効であると主張している。ローサナー上院議員はバンコク選出の上院議員でパンタミット派である。おろらくこのタブレットの写真を使った非難は、この前に民主党の若手議員が国会論議中にスマートフォンを使ってポルノを見ていたことに対する反対側からの政治ゲームだと思う。またローサナー上院議員はパンタミット派でもわかるように2550年憲法の破棄には絶対に反対なようで、いまだに2550年憲法を破棄する前に国民投票をすべきだと主張している。民主党も含めてこのような主張をする人たちは2549年のケーデターでそれまでの2540年憲法が数秒で破棄されたことをどう考えているのだろうか。
新しい国民憲法を作る過程で国民の代表である国会議員が論議に時間をかけるのは当然のことだろう。いままでのタイにおける政治集団の動きを見ていると、今のところ国会外での行動があまりないのは望ましいことと思うが、反対に国会内で国民を失望させるようなゲームはやめたほうがいいと思う。また今回の新しい国民憲法には、クーデターによる憲法破棄を禁止するという条項が入るのかどうか楽しみである。


2012/04/22

<ผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็น>

<紅茶知事>

4月21日の夕方のテレビニュースと22日の新聞にもパンタミットの集会のニュースはなかったのでおそらく消え失せたのだと思っていると、INNNEWSだけにニュースが出ていて200人は集まったようである。当初は10万人の集会と発表していたが次の日には1,000人と急激に減っていたし、それ以上に人数が減ったのはパンタミットの中心人物が集会には関係ないと発表していたのが理由かもしれない。また10万人の集会をバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するという発表があった次の日には陸軍司令官そして国防大臣と続けて記者会見をしてパンタミットまたいかなる政治団体にも陸軍の施設を使わせることはないと発表していた。そして陸軍クラブ前には“ここは政治集会を支援する施設ではない”という看板もでていた。そのようなことで21日のパンタミットの集会は陸軍クラブ施設の外で開かれたようである。今回の集会はもちろんパンタミットの利益につながっているクーデター憲法を破棄して新しい国民憲法を作成しようとしている政府に反対している訳だが、この先の反対集会がどれだけの規模になっていくのか注目されるところである。

おそらく今回の陸軍クラブにおける集会は、パンタミットによる陸軍への問いかけであると思う。果たして陸軍は憲法改正にどこまで中立なのか、また選挙で負け続ける民主党を2551年のように政権につけるようなことをする意志があるのかを問いかけたのだと思う。しかし陸軍クラブの使用を拒否されパンタミットの中心人物はすぐにこの集会には参加しないことを表明したのだと思う。一方、陸軍の方はパンタミットという政治団体が施設を使用することで陸軍司令官と国防大臣が出てきて拒否したのも不可解で、本来は陸軍報道官が発表すればいいことだったと思う。この件につながるのは21日のソンティ・ブンヤラットクリン議員の記者会見だと思う。この和解達成に向けての記者会見において議員は、現在の国の機関において右向けの命令に対して左を向くทหารแตงโมスイカ軍人やตำรวจมะเขือเทศトマト警官が出始めていると嘆いている。おそらくは陸軍司令官はスイカ軍人を考慮して素早く拒否の発表をしたのだろう。またソンティ・ブンヤラットクリン議員は各県の知事にもผู้ว่าราชการจังหวัดชาเย็นが出始めていると指摘しているが、このชาเย็นは紅茶なので赤服の知事ということだろう。


2012/04/21

<เสียงข้างมากลากไป>

<多数派が引きずっていく>

4月18日にプラアーティットにあるパンタミット事務所での会合で北部パヤオのチュムポン・リーラーノン調整役が発表した21日にバンコクの陸軍クラブにおける集会には、パンタミットは参加しないことを表明するとともに、現在国会で憲法改正を論議している上下院議員416人を不正な憲法改正をしているということで、この26日には最高検事局に訴え憲法裁判所で判断するように訴えるということである。いずれにせよこの会合にはパンタミットのソンティ・リムトーンクン氏を始めとする中心人物が不在で組織内部で何かが起こっていることは確かだろう。また集会を開催しないのは動員力不足か資金不足が影響しているのだろう。そして人が集まらない集会に賭けるよりは、より確率が高い司法権力に賭けて憲法改正阻止そしてプアタイ党の解党を狙っているのだろう。
また司法勢力もどのような案件でプアタイ党を解党に持っていけるか勉強しているのであろう。今年中に帰国すると言っているタクシン元首相が帰って来る時にパンタミットが万単位の集会が開けるのかどうかで、この組織の状態がわかってくるだろう。

一方、国会は朝から夜中まで憲法改正論議をやっているが、今のところ憲法草案議会議員の人数と資格を論議している。憲法草案委員会が提案しているのは、各県から選挙で選ぶ議員1人で合わせて全国では77人と国会が選ぶ専門家22人で合計で99人である。上院と民主党からは各県1人というのは不公平で120、150、200人等の意見が出ていた。民主党の推測によると与党が幅を利かせている県が54県あり、これに国会では与党が多数決で与党よりの専門家22人を選ぶとすると憲法草案議会は与党の思いのままになるということである。民主党はこの状態を多数派が引きずっていく、多数派による独裁だと主張している。
しかし各県で選ばれる一人の議員がどのような考えを持っているか、また憲法、法律、政治の専門家がどのような考えを持っているか分からない状況で多数派に引きずられるという主張は的確ではないと思うし、憲法草案議会が240日を使って草案を作成する間には国民からいろんな意見が出るだろうし、これらの議員はタイ国民で新しい国民憲法を作ってタイを良くしたいと願っているのは確実だと思う。


2012/04/19

<สมัยประชุมสามัญนิติบัญญัติ>

<通常立法国会>

2554年12月21日に開催された通常立法国会は4月18日に終わる予定であったが、憲法改正案が提出され野党による激しい反対があり延長ということに決まった。現憲法は2549年にタクシン元首相を追い出した旧権力の意向によってできた憲法で、新しい国民憲法を作りたいという国民の願いは2553年には集会の鎮圧で91人の死者を出し、2554年には憲法改正を選挙公約にしたプアタイ党の勝利につながっていった。
今日18日の第2読会では憲法草案委員会の憲法草案議会議員99人に対して野党と上院議員から150人、200人等の修正案が出されていた。この2月25日に憲法改正動議が賛成399、反対199で国会を通過したのを受けて、野党民主党はハジャイにおいて党大会を開催し国会と国会外において新しい国民憲法に反対していくという決意を表明していた。しかし国会外での反対集会は今のところなく国会においてもいろいろな戦術で論争に時間はかかっているが、修正動議を出すところを見ると流れとしては新しい憲法ができるのも確実で91人の犠牲者も無駄にはならなかったのかなと思っていると、久しぶりにパンタミットという名称がニュースに出てきた。

クーデター憲法とクーデターを拠り所にするパンタミットとして新しい憲法ができるのには絶対に反対で4月21日に全国から10万人を動員してバンコクのウィパワディーランシット通りにある陸軍クラブで集会を開催するということである。そして政府が新憲法案を引っ込めない限りは集会を続けるということは、2552年のように首相府占拠そして空港占拠を狙っているのか悪夢がよみがえるのかと心配していると、次の日にはパンタミットのパーンテープ・プアポンパン報道担当は自身のfacebook上で21日の集会はパンタミットとは関わりがないと声明を出していた。では21日の集会は誰がやるのかよく分からないところである。分裂しているのか動員力がなくなっているのかパンタミットのWEBも停止している状態では21日を待つしかないようである。


2012/04/18

<ตัวแทนอำพราง>

<隠し名義人>

タイという熱帯国はもの成りのいい国でコメというものは、土地があり水があればモミを撒けばできてくるものだと考えられていたと思う。これまでの政府もコメの価額と買い上げ方をどうするかという政策はやってきたが、米を作る人たちすなわち農民、土地、水、コメの種類等については真剣には取り組んで来なかったと思う。ここに来て農地確保の政策立法を始めようとしているようだが手遅れという説もある。調査によると高級ホテルに適した土地を始めとして大規模農地までが違法な隠し名義人を使って外国人に買われていて、その規模は国土の3分の1にもなるということである。違法な隠し名義人を使った土地の購入には次のような方法があるということである。

1,結婚したタイ国籍の人に土地を購入して維持させて外国人のものとする
2,タイ国籍の人に土地を買ってもらい、その人から土地を借りる契約を作り外国人のものとする
3,タイ法人会社を作りタイ国籍の人に株を所有してもらうが実際は外国人のものとする

また、このもの成りのいい国でのコメの面積あたりの収穫量を見てみると459kg/1ライ(面積の単位は1ライが1,600㎡)で、たとえばアメリカの1,270kg、韓国1,216kg、ベトナム836kg、インドネシア799kg、ビルマ653kg、ラオス576kgフィリピン574kg、カンボジア453kgでタイはカンボジアとほぼ同じである。カンボジアもまたもの成りのいい国で稲穂が出るころに田んぼに立つと稲穂が大きくなる音が聞こえると言われているほどである。面積あたりの収穫量が増えることは面積あたりに使う費用が減ることになり、農民の収入が増えていくことにつながることを考えると政府はモミの買取価額と買い上げの方法の改良だけではなく、もっと基本的なことから時間をかけて農民のことを考えないと、今年のコメの輸出が600-700万トンと昨年の900-1,000万トンより大幅に減っていくという数字に現れてくるようにいずれはコメ輸出量第1位の地位をベトナムに譲り渡すのも遠い未来ではないだろう。


2012/04/17

<ส.ส.ร 3>

<สภาร่างรัฐธรรมนูญ><憲法草案議会>

先日、Voice TVを見ていると久しぶりにソムキエット・オーンウィモン先生が出ていて今、話題になっている新しくできる憲法草案議会にぜひとも参加したいという熱い思いを語っていた。ソムキエット・オーンウィモン先生は政治学とマスコミ学の先生であるとともにテレビ、ラジオの番組を改革して新しく時代にあったものにした人でもある。2539年にできた初めての憲法草案議会に地元のスパンブリーから選出されて2540年憲法作成に参加してる。今回の憲法草案議会に参加する目的は、現在の2550年憲法がクーデターによってできた憲法で作成時に国民の参加がなく魂がこもっていない憲法なので、新憲法は2540年憲法のように幅広く国民の参加と意見を求めて作成していきたいということである。2540年憲法では各県で選ばれた議員が広く意見を聞きまわり集めた意見書は100万件になったということである。また現在も使われている選挙を管理する選挙委員会はソムキエット・オーンウィモン先生が長く勉強をしてきたインドにあった選挙委員会をタイに導入したということである。

2475年の立憲革命以降、タイでは18の憲法ができている。多くの憲法はクーデターが成功した後に前もって作成していた新しい憲法を使っている。しかしそれも2534年のクーデターから翌年の残酷な5月事件からは、憲法草案議会を立ちあげてから新憲法を作成している。これまでの憲法草案議会は次のとおりである。

..
2539年バーンハーン政権のもとで民主主義と汚職議員の排除等の政治改革が必要だと考える国民及び各活動グループの要求で成立。憲法草案議会の議員は各県から選出される76人と教育機関が推薦する学者23人で構成される100人でウタイ・ピムジャイチョンが議長になり2540年の憲法は成立した。
..
2549年クーデターを起こした国家安全保障評議会(คมช.)により任命される各職業部門からの代表、政府28人、民間27人、社会活動奉仕団体28人、学者22人で地方別では北部10人、中部68人、東北部12人、南部10人の100人で構成され2550年の憲法は成立した。
.. 3
2556年には成立すると考えられている新憲法で国会では憲法草案検討委員会の検討結果の第2読会に入っている。


2012/04/15

<ช่างแม่มัน>

<放っとけ>

4月14日にカンボジアのシアムリアップで開催されたソンクラーン新年で国境を超えてやって来た約5万人の赤服を前にしてタクシン元首相はビートルズの名曲Let it beの部分をタイ語にして歌っていた。おそらくはタイ国内で問題になっている和解案と憲法改正案で民主党が強硬に反対していることに対してช่างแม่มันと言っているのだと思う。舞台上にいた3時間は久しぶりに支持者に囲まれタイラックタイ党のときの集会を思い出していたのではないだろうか。それを皮肉るようにナタウット・サイグア農業副大臣はここはシアムリアップではなくサナームルアンのようだと表現していた。しかし進行する和解案に遠慮したのか舞台上では演説はなく歌と踊りで終始したようである。タクシン元首相は何曲か歌ったがสามสิบยังแจ๋วMy Wayを力を入れて歌っていたようである。

また夕方6時ころに舞台に上がったタクシン元首相はジャトゥポン、ナタウット議員と初めて出会うということを言っていたが、ジャトゥポン、ナタウット議員ともにクーデターが起る前の最終の頃のタイラックタイ党に入っているのでタクシン元首相とは出会っているはずで、タクシン元首相が言いたかったのは、このような集会で出会うのが初めてだという意味だと思う。
この二人を含めた13人の赤服がプアタイ党所属の国会議員になったことは、赤服の勢力拡大を助けているだろうし、国境を超えてきた5万人を見てもわかるように赤服の団結力がプアタイ党を助けていることは前回の選挙を見れば明白である。そして旧権力にとって予想外であった赤服の拡大がクーデターへ踏み切る決断を遅らせているのも事実であろう。

タクシン元首相はチェンマイで家族とともにソンクラーンを迎えているインラック首相へ新年の挨拶と祝福を送るとともに、野党から何を言われても言い返さずに仕事にだけ専心していることを賞賛して、今のやり方が正しくて自分のやり方は間違っていたので真似をしないように注意をしたようである。

またあいも変わらず民主党は若手女性議員を使ってプアタイ党の議員と閣僚がラオスとカンボジアでタクシン元首相と出会ったことは法律違反だと騒ぎ立っているがช่างแม่มันである。写真は久しぶりにインラック首相の大切な息子であるスパセーク君が出ていたので二人の写真にします。


2012/04/14

<ข่าว เมด อิน ไทยแลนด์>

<メイドインタイランドのニュース>

3月31日にハジャイとヤラーで起きたCar Bombの犯人は未だに捕まらず、南部にある複数のテログループの内、どのグループの犯行か特定できない状況のようである。その中にあってはっきりし始めているのは、民主党南部選出議員が指摘したタクシン元首相がマレーシアにおいてPULOの活動家と鎮静化に向けた交渉をしたことが今回の事件のきっかけになったという説は、PULOWEBに掲載されていた写真とマレーシアで発行している中国語紙を根拠としていた。写真の方は幻の写真になり中国語紙のほうもマレーシアでの会談の取材ではなくタイからの情報だということである。

-タクシン元首相がマレーシアでPULOの活動家と出会った。
-ナラティワートのナジャムットディーン・ウーマー元議員が18年前にプーケットで撮った写真。
-最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってる。
以上の3点を混ぜあわせてできてきたタクシン元首相の会談がきっかけとなったという説は、幻の写真で危うくなり中国語紙の記者が31日の事件で犠牲になったマレーシア人の取材でハジャイに来たときに、地元のタイ人から情報を得たということで全てがあやふやになったようである。南部選出の議員であれば現地には情報や知り合いも多くいて犯行グループを探し出すのに協力するのが当たり前だと思うが、ここがこの党の変なところで反タクシンのためなら何でもやればいいのだという焦りが見え見えのような気がする。


2012/04/12

<เรื่องนี้ถึงครูอังคณาแน่>

<アンカナー先生に言いつけるからな>

4月11日にインターネット上で起きた出来事である。YouTubeにサムットサーコンの中学1年生のトート君がタイトルにつけた表題でアップロードしたビデオを178万回も見た人がいて、このセリフがマスコミで使われているということである。クリップの内容はトート君のクラスで使っていたfacebookのグループが原因のようである。ちょっとしたことでボール君というクラスのリーダーによりグループから除け者にされたトート君が相手に怒りをぶっつけ、このまま除け者にするならアンカナー先生に言いつけるからなということである。マスコミの取材を受けたアンカナー先生は当事者を呼んで話し合いをした結果、二人とも元通りの友だちになりトート君もfacebookのグループに戻れたということである。

facebookはタイでは人口の7.7%に相当する510万人が使っているということである。そしてこれだけ使う人が増えた理由はいろいろな理由があると思うが、facebook上で懐かしい友達や連絡を取っていなかった友だちと会話できることがいいということである。また世界の都市でfacebookを使っている人たちが多い順位では5位である。


  • #    City Country Total User
  • 1. Jakarta      Indonesia       17,484,300
  • 2. Istanbul      Turkey            9,602,100
  • 3. Mexico City Mexico            9,339,320
  • 4. London       United Kingdom 7,419,680
  • 5. Bangkok      Thailand           7,419,340


2012/04/11

<ศาลรัฐธรรมนูญ>

<憲法裁判所>

憲法裁判所は2540年憲法でできた司法に関する独立機関の一つである。80%が各法律における違憲判断で政治上の事件を判断するのは10%ということである。しかしこの10%の政治上の判断、たとえば政党の解党、上下院議員の議員資格判断が重要な判断で2549年のクーデター以降は憲法裁判所の判断に濃厚な不公平が出てきている。タクシン元首相支持派と反対派の判決を見ていると不公平があるのは事実のようだ。特に民主党解党裁判は2回あったわけであるが2回ともに解党を逃れ、最後の判決では選挙管理委員会が15日以内に訴えなかったのは手続きに問題があったということで憲法違反の内容を吟味する前に民主党を解党から助けるという形で終わったわけである。

憲法裁判所は9人の判事から構成されていてどこから選ばれるかはは次のとおりである。

最高裁判所裁判官 3名
最高行政裁判所裁判官 2名
上院内の法律学有識者 2名
上院内の政治学有識者 2名

これらの9人の判事の選択については上院に権限があるようで、その上院の半数が2550年憲法以降は任命になり、その上院を任命するのは次の7人で構成する委員会である。

憲法裁判所議長
選挙委員会議長
国家調査員委員会議長
国家汚職防止取締委員会議長
国家会計検査委員会議長
最高裁判所判事
最高行政裁判所判事

このメンバーを見ていると司法関係だらけで、おそらくはこの内の8割以上は旧権力に属する反タクシン派だろう。3月29日には憲法裁判所設立14周年を記念する講演会が開催されワッサン・ソイピスット議長は和解について、今の状況ではありえない事で抗争している両派の政治家と活動家が亡くならないと成立は不可能だと講演していた。裁判所内に居すぎて何も見えなくなったのか民主党の選挙での大敗とパンタミットその他の反タクシン派の動員力は激減しているのは事実であるということが見えていないようである。クーデターにつながった2548年の何万人を動員する反タクシン派集会は民主党が南部から人を集めたからできた結果で今の民主党ではそれもきついだろう。それとは反対に今の司法が変わらない限りにおいて和解は難しいということにも気づいていないようである。

2012/04/10

PULO

Patani United Liberation Organization
<パタニー統一解放機構>

3月31日に南部の2県で同時に起きたCar bombから1週間が過ぎて事件が起きたヤラーの商店通りでは複数の僧侶を招いてタムブンと亡くなった人たちへの供養をやっていた。最南部3県にあるヤラーはイスラム教徒が多いと聞いていたので仏教の僧侶が多く来ていることが不思議に思っていたのだが、供養をするには仏教が向いているのかそれとも商店街は中国系タイ人が多いというせいかもしれない。

そしてこの日には早くも民主党から今回の事件の背後にはタクシン元首相がいるというニュースが流れてきている。ヤラー選出のプラサート・ポンスワンシリ民主党議員によると、2月22日に南部の係員に連れられたタクシン元首相とプアタイ党議員はマレーシアに入りPULO(パタニー統一解放機構)の18人の活動家と南部鎮静に向けた話し合いを行ったが成立せずに、3月17日にはインラック首相も同行して2回目の交渉でマレーシアに行ったとしている。その根拠としてはPULOのWEBにタクシン元首相が活動家と抱き合っている写真があったと主張している。しかしその日の夕方にはPULOのWEBでそのような写真がなかったことをマスコミから追求されたこの議員は、写真は南部の人がWEBから印刷してきた写真で今はその人がマレーシアに行っているので手元にはないということで幻の写真になったわけである。

この幻の写真については、アピシット前首相までが言い訳を手伝わされたようで写真以外にも政府の高官が交渉に行ったという情報はいっぱい入ってきていると言い訳をしている。これはศอ.บต.という最南部行政管理センターのタウィー・ソートソーン警察大佐が何度かマレーシアに行ってることを指しているのだと思う。
南部は民主党の地盤で多くの議員と支持者がいて情報が入ってくるだろう。今回はその中の偽の情報に乗ってしまったということだろう。これまでも何度も事件は起こっていたが3月31日の事件で南部の問題が国民的な課題であることを再確認して解決への方向を見出そうとしているときに偽の情報で混乱させていいものだろうか。それとも民主党にとっては国民的課題より反タクシンのほうが大事なのだろうか。

その後もマレーシアにおける会談については情報が錯乱して、民主党が固辞する反タクシンの新しい話題となっているようである。民主党が南部の事件を利用して反タクシン運動を再度展開するやり方は、南部をより混乱状態にしているのは事実のようである。

2012/04/07

<ไหว้เขาสิพี่>

<あんたらあの人に感謝したら>

タイトルのタイ語を直訳すると分かりにくいので意訳にした。また状況を説明すると時は4月5日で場所は国会、発言者はナタウット・サイグア農業副大臣である。この日深夜まで行われた和解委員会が提出した和解案を受け入れるかどうかの国会討論で、この国会討論の間、民主党議員が和解委員会ソンティ・ブンヤラットクリン議長に詰め寄り、この和解案に不満な議員が攻撃的な発言をしたことを受けて、それまで選挙で負け続けいた民主党が2549年のクーデターにより政権の座につくことができたのは、クーデターの指導者であったソンティ・ブンヤラットクリン議員のお陰なのだから感謝すべきだというナタウット・サイグア農業副大臣が発言の最後に民主党議員に向って言った言葉である。

もちろん民主党も和解には同意しているとは言っているが、プラポッククラーオ研究所が作成した和解案ではこの6年間のタクシン元首相壊滅計画のすべてが無駄だったということになるのを恐れているようである。できれば和解を延ばし司法によるプアタイ党の解党もしくはできるなら再度のクーデターを狙っているようである。

また民主党のステープ議員がテロリスト以外との和解なら賛成だとの発言を受けてプアタイ党のジャトゥポン・プロームパン議員は91人を殺した殺人者との和解はできないとやり返した。また続けていずれは成立する恩赦ではプアタイ党のナタウット・サイグア議員と自分と民主党のアピシット前首相およびステープ議員の4人だけは除外にして、公正な司法のもとでテロリストか殺人者かの裁判をやろうということである。これに対してアピシット前首相はステープ議員と自分とタクシン元首相の3人で裁判をやろうということである。

2012/04/06

<จุฬาราชมนตรี>กับ<สมุหนายก>

<政府が任命するタイイスラムの宗主>と<文官の最高官名>

ナタウット・サイグア農業副大臣が言ったように戦車から降りたソンティ・ブンヤラットクリン議員はค.ม.ช.国家安全評議会議長からก.ม.ธ.ปรองดอง和解委員会の委員長へと180度の転換を果たしたようである。この転換について本人は軍人時代に修士学位をとった社会学の勉強でタイ社会が友愛とつながりを持った社会になって欲しかったと語っている。また現在も続けているラームカムヘーン大学での博士課程が政治学というのも転換に影響しているのかもしれない。陸軍を大将の位で退官したあとの2552年には最南部のナラティワート、ヤラー、パッタニーを地盤とした政党マートゥプーム(故郷党)を立ち上げ2554年の選挙で下院議員になっている。今回の下院議会内にできた和解委員会の委員長には自らの意思でなったようである。

ソンティ・ブンヤラットクリン議員はイスラム教徒としては初めて陸軍司令官になった人で、おそらくは南部出身であると思っていたのだがタイ中部のパトゥムターニー出身であるということである。先祖はアユタヤ時代のエーカートッサロット王(治世2136-2144)のときにアユタヤに来たアラビア人でソンタム王のときに貿易で巨富を築き上げたチェークアフマッドだということである。この家系からは<จุฬาราชมนตรี>と<สมุหนายก>という要職に就く人が何人もでてバンコク時代にっても有名な家系は続いているということである。

2012/04/05

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<คาร์บอมบ์>และ<กลุ่มกองโจร>

"Car bomb"and"Terrorist"

昨日の3chの夕方の番組「ジョカーオデーン」では久しぶりに屋外での取材になり番組進行役のソラユット氏が南部ヤラーの爆発現場に来ていた。昨年10、11月の洪水の取材で気づいたことは、この人の方法はなるべく早く現場に駆けつけ現場にいた人たちに話をさせて、その時の状況を詳しく語ってもらう。そして現場の人たちに政府と関係機関に対する期待と不満を語ってもらうということだと思う。またソラユット氏という国民に人気がある人が行くことにより世間は事件現場に注目していることを知らせ犠牲になった人たちを安心させ元気づけることにもなっていると思う。

3月31日に発生した南部ヤラーの爆発は商店通りに停車していた2台の車が爆発、20分後には100mほど離れたところで3台目の車が爆発、この3台目の車の爆発は初めの爆発現場の犠牲者を助けようと駆け寄った人たちが集まってきた時に合わせて爆発させたようで11人という死者が出ている。各々車には50kgほどの爆薬が仕掛けられていて爆薬の中には鋭く尖らした鉄の破片が大量に入っていて、多くの死者は爆風とともに飛んできた鉄の破片で亡くなったようである。

3台目の爆発現場で全壊した7イレブンの持ち主に話を聞いていたソラユット氏は何度かメガネの中を拭いていたので涙が出ていたのだろう。昨年の洪水の報道の時には決して見せなかった涙である。おそらくこの事件は衝撃的でこれから南部の問題をどのようにしていくのか大きな国民的な課題になったのだと思う。


2012/04/03

"อีสานบน"กับ"อีสานล่าง"

<上イサーン><下イサーン>

4月に入り一段と暑くなってきたタイであるが暑くなってくるとそろそろソンクラーンタイ新年である。3月31日には南部の3県で同時爆発が起こり13人の死者と534人の負傷者をだすという大きな事件もあり、ソンクラーン期間中の南部特にハジャイへの観光は激減して6割方落ち込むということである。しかし何と言っても今年のソンクラーンのハイライトはタクシン元首相に出会うラオスとカンボジアへの観光になるだろう。タクシン元首相は4月11,12日にはラオスのビエンチャンでノーンカーイを通ってやってくる上イサーンの赤服を迎え、4月14,15日にはカンボジアのシアムリアップでアランヤプラテートを通ってやってくる下イサーンの赤服を迎えるということである。また14日にはシアムリアップにある80,000人を収容できる文化センターでタクシン元首相の演説があるということである。これまでの集会ではタクシン元首相は海外からビデオリンクで演説していただけであったが、今回は選挙演説と同じように支持者に囲まれて触れ合いながらどのような演説をするのか期待されているようである。そして直に演説を聞く赤服の参加者が感動してタクシン元首相の元で団結してさらなる民主化に向けた行動とタクシン元首相の帰国実現への運動を加速していくのは確かだろう。

また参加者にはタクシン元首相から記念品が配られることになっていて次のとおりである。
1,ゴム製で頭からすっぽりとかぶるタクシン元首相の仮面、20,000個
2,タクシン元首相の顔を刺繍した赤のポロシャツ、30,000着
3,タクシン元首相と家族の写真を入れた扇、100,000本
これだけの数量の記念品をどこで作ったのか不思議だが、またこれだけの人が集まるのか見ものではある。
そしておかしいのは20,000個のタクシン元首相の仮面をかぶった人たちに囲まれてタクシン元首相は国境を超えてタイに帰国するというアイデアである。


2012/04/01

"ปรองดอง"หรือ"ปรองเดือด"

<和解><沸騰>

先日、有名なソラユットのテレビ番組で国会で激論になっている和解案について2人の出席者が出ていた。和解委員会の民主党議員9人の代表で27日の国会での討論の前に委員会から脱退した民主党ソンクラー県選出のニピット・イントラソムバット議員とノーポーチョーのナタウット・サイグア農業副大臣である。この番組でのソラユットの番組進行は定評でどのように討論が進んでいくのか楽しみにしていたのだが、ナタウット・サイグア農業副大臣の自信からきた落ち着きに比べてニピット・イントラソムバット議員の自信のなさからきたイライラと攻撃性はソラユットの番組進行の腕を持ってしてもあまり噛み合わない討論になったようである。

民主党議員のイライラは昨年の選挙での敗北から国会での敗北といろいろあるだろうがインラック首相を中心としたプアタイ党議員に対する実に細かい理由による訴訟沙汰が味方であるはずの司法により取り上げられないということもあるようだ。そしてそれ以上に恐れているのは選挙地盤の南部ナコンシータマラートに赤服村ができたことではないだろうか。この番組の中でナタウット・サイグア農業副大臣は和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン議員が戦車から降りてきたという表現を使って2549年に起こったクーデターのリーダーから和解へのリーダーに変わったことを強調していた。

さてそのソンティ・ブンヤラットクリン議員が主人公になった3月27日の国会における長時間にわたった激論であるが、その間クーデターのお陰で議員になれた民主党議員と一部の上院議員から180度の方向転換を詰め寄られるという場面もあったようである。一方ではクーデターにより失くすものが多かったプアタイ党議員は反対に
ソンティ・ブンヤラットクリン議員の応援に回ったようである。先日2000人の参加者を集めて開催された民主党の<力をあわせてタイ国を変えていく>集会でアピシット民主党党首はクーデターによる独裁と独占資本による独裁を反対するとはっきりと表明しているが、行動を見ているとクーデターのお陰で2551年に政権党になれたことを懐かしがっているのは事実のようである。


2012/03/31

"ลืมๆไปซะ"

<忘れてしまいましょう>

プラポッククラーオ研究所が作成した和解に向けての報告書を要約すると「忘れてしまいましょう」ということである。สถาบันพระปกเกล้าのサターバンはInstitutionをナラーティップポンプラパン親王がタイ語にされたもので
大学、研究所、寺院、病院等の公共施設に使われているタイ語である。

さてこの1週間、国会及び各マスコミにおいて激論を巻き起こした報告書は次の調査項目を経てできたようである。
1,タイと同じような状況に置かれていた10カ国への調査
2,タイ社会内の抗争を調査
3,パンタミット、ノーポーチョー、政府職員、政府の関連機関と元首相を含めた47人へのインタビュー
結果は抗争の中心はタクシン元首相で民主主義をどのように解釈するかの違いから起こった抗争で一方は
国会における多数派を重視して、もう一方は民主主義においての道徳と倫理を重視した結果であるということである。そして両方共に権力と利益の維持のためにおのれの考えだけを主張してマスコミを使い社会に浸透させた結果、民主主義に対する解釈の違いが社会経済上の格差を生み出し気づかせることになったということである。

報告書では抗争を終わらせる方法として短期的には次の方法を提案している。
1,6ヶ月後に結果を出すコーオーポーと呼ばれる和解のための真相調査究明独立委員会を支援する
2,すべての関係者に対する条件なしの恩赦
3,2549年のクーデターのよりできた国家損失真相解明委員会により犯罪となった全てをなくす。
4,国民による反対集会を禁じた上での憲法と法律の改正

民主党が強硬に反対するのは、この報告が国会で取り上げられると与党による多数決賛成で恩赦法が
成立してタクシン元首相の帰国につながることを恐怖を感じるほどに恐れているようである。


2012/03/29

"การปรองดอง"หรีอ"การขัดแย้ง"

<和解><抗争>

6月27日、国会下院内の和解委員会(...ปรองดอง)から民主党委員9人が離脱した
ことを受けて世論では民主党は和解を真剣に考えているのかそれとも抗争を続けていくのかという
疑問が出てきている。もしこのまま和解が成立するなら政府すなわちプアタイ党の得点になり
予想されているように次回の選挙では民主党は100議席を切るかもしれない。
おそらく民主党の考えはこのまま抗争を続け各裁判所に訴訟を続けているといずれは首相解任や
プアタイ党の解党が実現すると思っているのだろう。実際に料理番組出演が憲法が定める兼業規定
に違反するとして憲法裁判所から首相の座を追われたサマック・スントラウェート元首相の例や
タイラックタイ党とパランプラチャーチョン党の解党を考えると司法が反タクシン派であるのは明白
だからである。

さて和解委員会がプラポッククラーオ研究所に諮問してできた報告を27日の国会で与党は
審議を始めようとしたところ、審議前にこの報告がまともでないとする野党民主党の反対を受けて審議は
4月4日に延期されたようである。この間、民主党議員による報告案を破り捨てる等の混乱があり
休憩をはさんだ再開では和解委員会のソンティ・ブンヤラットクリン委員長が立ち上がり「あなた達は
一体に何のために国会に来ているのか。外部にはなんの抗争もなく国会こそが抗争の原因で
外部に拡げているのではないのか」と詰め寄ったようである。

各調査機関の報告によると対立をしているのはタクシン元首相を応援するグループとそれに反対する
グループで国民の40%だけで残りの60%は和解を願っているということである。タクシン元首相に反対
するグループはタクシン元首相が旧権力が重要視するものを破壊すると思わされているようである。
またタクシン元首相を応援するグループは旧権力が民主主義の原則を破ってでも権力を固守しようと
していると考えているようである。

一方2553年の鎮圧により亡くなった91人を代表するパヤオ・アックハート女史は国会議長に対して
大勢の犠牲者を出した武力鎮圧の責任を取るものが誰もいない状況で和解というのは早急で
事実を明らかにしてはっきりと責任者を処分してからの和解でも遅くないのではということである。


2012/03/21

"สำนักงานผู้ตรวจการแผ่นดิน"

<国家調査員委員会>

当初、この委員会の名前แผ่นดินを見たときは国土のことだと思い地表にある国有地、国有林、
国立公園などでの不法占拠や国有林の不法伐採または国立公園内での野生動物の不法捕獲を
調査する委員会だと思ったのだが、業務内容を見ているとแผ่นดินとは国家のことで2549年の
クーデター以降にできたタクシン元首相を追い出す司法の一機関で国家調査員委員会が
適当な訳のような気がする。

タクシン元首相の大衆主義と呼ばれる地方の人達の生活と地位向上を目指した政策は特に北部と東北部で人気を集め選挙ではかならず勝つという政党を創り上げた。しかし地方を利用しながらも
蔑視してきた旧権力は地方の人たちに権力が移っていくのを嫌い選挙ではタクシン元首相の党には
絶対に勝てないと悟ったのかパンタミット+民主党による国会外における大衆行動、軍権力による
クーデターそして司法による解党措置でタクシン元首相を国外追放にして民主党を政権の座につけることに成功したわけだが、時の流れを読めない民主党は2年以上に渡る統治期間中に何ら具体的な政策も打ち出すことができずに赤服の集会を鎮圧するだけに終わり、2554年の選挙では大負けをしてインラック首相が率いるプアタイ党政権ができたわけだが旧権力によるタクシン元首相の追い出しは続いていてこの国家調査員委員会を使った司法権力による追い出しが目立った動きのようである。

国家調査員委員会は2550年憲法の規定によりできた3人による委員会で役目としては、政治家、公務員の違法行為を見張り、政治家、公務員が倫理規定に即した人格であるのかを調査する委員会のようである。今のところナタウット・サイグア農業省副大臣がテロリストの容疑で訴えられていることとナリニー・タウィーシン首相府大臣がアメリカ財務省のブラックリストに載っていることが倫理規定に引っかかっているようである。


2012/03/19

"ไม่กลับหรอกค่ะ"

<帰ってこないわよ>

タクシン元首相のタイ国内の情勢分析では和解への兆しが見え始めたので今年中には帰国できる
と予想しているようである。この情勢分析に対するインラック首相の答えは一言で<帰ってこないわよ>
ということである。この答えに対してタクシン元首相は赤服もプアタイ党も帰って欲しがっている。しかし
政府だけが帰って欲しくないようだとつぶやいたようである。

タクシン元首相の帰国は賛成派および反対派にとって昨年の選挙以上に重大なことでタクシン元首相を極悪人としてきた民主党やパンタミット等にとっては国を民主化とは反対の方向に向け格差社会を温存してバンコクが地方に対して優位であるというバンコクに住む保守層の考え、そして黄色集団による集会また空港占拠、その上にはクーデターによる民主党政権成立等の行動ががなんの意味もなかったことになるほどの重大なことだと思う。

ではタクシン元首相の帰国の方法とは次のとおりである。
1,チャローム・ユーバムルング副首相が提案する...ปรองดอง(ポーローボープロンドーン)という
和解法案による帰国。
2,スチャート・ラーイナムンガン首相付き副幹事長による...นิรโทษกรรม(ポーローゴーニラトートガム)という恩赦緊急勅令による帰国。
3,この時点では国会内にできた委員会で憲法草案議会設立に向けた議論が行われているが、その2550年憲法を改正することによる一部条項をなくすことによる帰国。
4,前回のクーデターを率いたソンティ・ブンヤラットクリン大将が議長になった国会内の和解に向けた方向を検討する特別委員会による諮問を受けたプラポッククラーオ研究所がまとめたクーデター政権による訴訟を全て無効にするいうことによる帰国。

しかし4案ともに時間がかかり反対派を増やしていくだけなのでイサーンの赤服が提案する今年の4月のソンクラーンのときにラオスを訪問することになっているタクシン元首相をそのままノーンカイからタイに入国させウドンタニーで何十万人規模の赤服を集めてタクシン元首相を守るという案が一番現実的であるという気がする。

写真には4年先の2559年にタクシン元首相帰国という写真を使ったが、民主党はお喋り上手を超えて悪口上手になり政治党派ではなく悪口同好会という様相でパンタミットは大きく人を集めるスローガンもなくなり今の反対派の状況を考えると近々という気がする。


2012/03/14

"บัวขาว"

<白いハス>

BlackgoldまたはDam.comというニックネームを持つ2004年と2006年の
K-1 World Maxの王者で日本人もよく知っているブアカーオ・ポー・プラームック
は所属ジムであるポー・プラームックから3月1日に失踪してから行方知らずであったが
12日にバンコクの7Chのスタジオに現れ失踪した気持ちを番組の中で
語った。理由は所属ジムとうまく行かなくなったということだがブアカーオの
百万バーツ単位のファイトマネーは習慣でジムと半々ということである。

ブアカーオは1982年にタイ東北部のスリン県に生まれ8才でムアイタイを
初め15才で田舎を出てポー・プラームックジムに所属したようである。
これまでのところ236戦して203勝21負けでうちノックが51回で引き分けが
12回である。このような結果になったことについてジムのオーナーは
タイ語でปั้นという粘土をこねるという言葉を使い15才から29才まで粘土を
こねるように養育してきたのがこのような結果になり残念だということである。
また名前のブアカーオは訳すと白いハスということになるが辞書を見ると
ブアカーオはそのままでハスという意味だということである。
また仏教国タイではハスの花は神聖吉慶な花とみなされ、美しい良いものの
代表とされている。