2013/11/03

<กลับมาแน่! ก่อนปีใหม่ 57>


<2557年の新年には必ず帰ってくる>

10月31日の国会下院議会での恩赦法第二、第三読会に出席していたチューウィト・ガモンウィシット ラックプラテートタイ党首は自身のフェースブック“チューウィトI'm No.5"で議場での様子を次のように報告している。この中で興味深いのはモップとはお金のことだということでお金がないと何もできないということである。サームセーン駅にいる民主党モップにどれだけのメシ代が必要なのか、1食が50バーツとして50X6,000人X7日間=210万バーツと1週間だけでこれだけ必要になるわけである。2549年のパンタミットモップのときはタクシン元首相の独り占めに反対する企業家、資産家が資金提供したのだろうが、現在の状況では彼らも政府の「2020年タイの未来」等の大型プロジェクトの方に魅力を感じているはずである。

タイトル<2557年の新年には必ず帰ってくる>フェースブック“チューウィトI'm No.5より

10月31日の夜の議会は眠くてしんどくて10杯のコーヒーを飲んだが未だに投票は行われず、議場で居眠りをしていると盗み撮りをされて公表されると困るので、ソファーがある喫煙室に行くとプアタイ党の議員が大勢寝る用意をし始めていた。

僧が托鉢に出る前でまだ鶏が鳴き始めない時に恩赦法の第三読会は議会を通過した。そしてタクシン学校は全て完了した。タクシン元首相は政治権力、国家権力そして民衆がそろえたこれ以上にいい機会はないということでどうしても帰国したくなったのだろう。モップウルポンはアマチュア半分プロ半分で資金もなくそれほどでもないし、民主党のモップサームセーンはにぎやかだが人生映画と同じで長く続くだけだろう。モップに来るのは気分、愛情でも必要なのはお金ということだろう。モップが動けるのは腹次第ということでステープ下院議員は集会場に着くやいなや食事を出すテントにかけつけてモップを惹きつける食事があるのか、そこは長年の経験ですぐにチェックしたということである。ミュージックもないとモップを長く引きつけられないので「バーンラジャン」というアユタヤ時代の愛国村の歌を所望するが、この歌に出てくるバーンラジャン村はビルマとの戦いで全滅したのでどうかなとあの難しい顔をさらに難しくしたようである。


2013/10/20

<สุดซอย>กับ<ทะลุซอย>


<路地の終わり><路地を貫く>

2556年10月19日に野党委員の反対で混乱していた恩赦法は特別委員会の会議で恩赦法の6条項が賛成多数で可決され11月上旬の国会において第二読会が討議されることになった。特に第3条ではクーデター以降の独立委員会特にタクシン政権だけを標的にした国家損失行為調査委員会(コートーソー)等の判定を無効にするという議案提案者であるウォラチャイ・ヘーマプアタイ党下院議員もびっくりする変更に民主党委員は猛烈に反対したようである。もしこの6条項で国会を通ったとするとタクシン元首相に対する罪状は無効となりと国に没収された財産はタクシン元首相に返還されるということである。タクシン元首相が没収されたのは460億バーツで3年間の利子40億バーツを上乗せして500億バーツが返還されることになりそうだということである。

この件について特別委員会の委員でもあるアピシット民主党党首はついに路地の終わりまで辿り着き路地を抜けだそうとしていると表現した。2549年のクーデター以来、海外で暮らすタクシン元首相にとってついに路地を抜け出し帰国への道ということになるのかもしれない。政府とプアタイ党がこの時期に踏み切ったのは2年間の政権維持で軍が強気にはならないという見通しがついたことだろう。軍は突き詰めれば利権集団で予算をもたらす政府が民主党にはならないと見ぬいたのだろう。またこの2年間の反政府デモを警察の力だけで鎮圧できたことに自信を持ったのだろう。軍からは無視され司法は足踏み状態であるなか民主党をはじめとするアマート勢力にとって最後の頼みはデモであるわけだが少なくとも10万単位でないと政府転覆は厳しいと思うが千単位で止まっているデモ参加者を見ていると到底ムリではという気がする。


2013/09/29

<รธน.วาระ 3 ที่มา ส.ว.>


<上院議員の選出法に関わる憲法改正案>

2013年9月28日12時に遂に憲法改正案が第3読会を賛成358反対2、棄権30で通過して成立した。反対が少ないのは法案に反対する民主党と一部の上院議員が議場から逃げ出したからである。
2550年の憲法がクーデター勢力によってできてから7年、プアタイ政権ができてから3年目にしてやっとクーデター憲法を国民憲法に戻すことが少しだけ前進したわけである。この先も憲法裁判所からの横槍があると思うが、2550年憲法は国民の意思を反映してない憲法でこの憲法を維持しようとするのはアマート勢力すなわち反動、反民主主義勢力でおのれの権力が少しでも漏れていくのを必死に防ごうとしている勢力である。
タイの民主主義を妨害しているのは2550年憲法であるのは確かなことで7年もの間改正できなかったのは憲法裁判所を始めとした司法機関がこの憲法を守ってきたのは事実である。


2013/07/02

<ตุลาการธิปไตย>กับ<ประชาธิปไตย>


<裁判官主義><民主主義>

タイにいてよく聞かれるのは“どうしてよくならないの”という質問で答えとしては“まだタイはそこまで行ってないんだよ”ということだと思う。ではどうしてそこまで行けないのか国民の90%以上は民主主義を望んでいて格差の解消、地位や富の平均化を望んでいるのだが5%くらいの旧権力と呼ばれるグループが平等と発展を阻んでいるようである。このグループは自分たちの権利が普通より多くあり自由に出来る範囲を広げようとしている。平等という考えの上にあり公平よりも有利を得たいと考えている。そしてグループの広告では他より優っていて“良い人または道徳倫理に優れた人”の集まりでずっと支配者に向いていると言っているようである。そしてそれを補うように武器と司法を使って権力を維持していこうと考えている。しかしこのグループも何度か判断の間違いをおこし修正しようとするたびに対立はいっそう激しくなっていくようで個人からグループにそして最後にはタイ全国での対立に広げてしまったようである。その判断の間違いは次のとおりである。

1.最初の判断の間違いは敵と見方の区別ができずにタクシン元首相の地方に対するポピュリズムを危険と感じてしまいタクシン元首相を敵に回したことである。
2.2549年のクーデターを起こしてしまったことで大部分の国民が反対または敵対することが予想できずに選挙を直ちにやる必要に迫られたわけであるが結局はまた同じく選挙で負けるという結果になったわけである。
3.2551年からの司法強調主義によりパランプラチャーチョン党を解党したが、全国的な色分けが始まり司法は片一方に付き司法に対する信頼を大きく損なってしまったことである。
4.これらの3件により赤服集団が大きくなり始め2553年の4月から5月の集会を銃により鎮圧したことで100人もの死者を出したことで全国的な対立はますますひどくなり解決し難くなったことである。

そしてこのグループの判断の間違いの5番目は現在進行中の裁判官主義により選挙により国民が選んだ民主主義の道を崩そうとしていることである。


2013/06/02

<การไฟฟ้าฝ่ายผลิตแห่งประเทศไทย กฟผ.>


<タイ発電公社>

2552年、4年前にタイ発電公社はBreak out(突発事故)という広大な地域で突然に電気の供給が停止したときにどのように対処すべきかというビデオを作った。そのビデオでは10分以内に回復できるとあり、また5分以内に回復できるように改善しているとなっていた。しかし5月21日18:52に南部の14県で起こった大停電は23:45になってやっと回復したので停電はほとんど5時間続いたことになる。特に南部国境地域の3県は正常に電気があったとしても夜はテロリストからの攻撃を恐れている地域なので、この5時間の恐怖は計り知れないものであったと思われる。

今も続いている調査で分かったことは当日南部で足りない電力を中部から送電している4本のケーブルの内の500kvのケーブルを定期検査していたところ雷によりもう1本の500kvのケーブルが破損してしまい2本のケーブルが送電できなくなったことにより、南部にあるカノーム発電所、ジャナァ発電所、ラッチャプラパー・ダム発電所の3ヶ所、普段は1,600Mwを発電する能力があるが南部地方で日常で必要な2,200Mwの内、600Mwを送電していた中部からのケーブルが破損したことで送電できなくなり、南部の3ヶ所の発電所はその分を補おうとして過剰操業になり自動的に3ヶ所の発電所が停止して大停電になたということである。

この問題を解決すべくタイ発電公社としては南部に石炭を使った発電所を作ろうと計画はあるのだが地元住民の反対でなかなか実現しないようである。現在ある計画はプラチュアップキリカーンとクラビーに800Mwの発電所を作るために地元住民を説得しているようである。




2013/05/31

<องค์ประชุม>และ<ใช้สิทธิอภิปราย>


<委員会構成数>そして<論議する権利を使う>

5月29日の憲法裁判所の判断では上院任命議員等が訴えていた4件の憲法改正動議が憲法38条に違反するという案件は上院・下院議長の釈明文を待って判断するということであったが、ルアングライ・リーギットワッタナ元上院任命議員の訴えは却下されたようである。ルアングライ元上院任命議員の訴えとは憲法改正動議68条と237条について国会での第一読会が通過して審議会で修正議論をする第二読会に民主党議員36名が参加しているのは憲法68条に違反するので民主党を解党して党首と党役員は5年間の公務停止処分にすべきでるということである。ルアングライ元上院任命議員の訴えの意味は、民主党は憲法改正動議を憲法68条に違反する行為だと訴えているが、訴える人が訴えられる人と同じ審議会で議論をしている行為は、この行為を認めていることで民主党もまた68条に違反するとして訴えられるべきだと考えているのだろう。

この訴えを却下した憲法裁判所は理由として民主党議員が審議会で議論をしているのは野党も審議会に参加するという定足数の規定があるとともに国会議員は議論する権利があるのでそれは当然のことで、また今のところ民主主義制度統治の転覆を目論んでいるという行為も見つからないので却下するということである。憲法改正は第291条(原則・方法)憲法改正は以下の原則及び方法によってのみ、これをなすことができる。という条項ではっきりと認められていることで、その行為を憲法68条第一項の民主主義制度統治の転覆という重大な罪状で停止させようとするのは憲法裁判所にとっても厳しいのかサマック・スントラウェート首相を解任するときに辞書を繰りながら考えついたように今回もどのように判断すればよいのか9人の裁判官が考えているのだろう。



2013/05/30

<มาตรา 68>และ<มาตรา 237>


<68条><237条>

29日に憲法裁判所が憲法改正動議特に68条が憲法違反であるかどうか判断を示そうとしている土壇場で民主党ソンクラー県選出のウィラット・ガラヤシリ議員が憲法裁判所に訴えを起こした。この議員を始め民主党の議員も憲法改正の第二読会である審議会に参加してแปรญัตติ(動議修正)に参加しているのだから、今さら憲法改正行為が民主主義体制を打倒するものだと68条で訴えるのは国会という立法機関を無視する行為で民主党は選挙も認めず、ここにいたっては国会も認めないという集団になったようであるが、民主党としては審議会でも自党の意見が通らないのでここは憲法裁判所に頼るしかないという判断になったのだろう。国会で少数派の自党の意見が通らない時は国民に訴えるのでなく憲法裁判所に訴えるのが民主党の常套手段になったようである。さてその訴えであるが先日提出されたパンタミットの訴えとよく似ているが次のとおりである。

1.2550年憲法68条と237条の改正動議を取り下げるようにすることを訴える。
2.プアタイ党、チャートタイパッタナー党、パラングチョン党、マハーチョン党、プラチャーティパッタイマイ党、チャートパッタナー党の解党を訴える。
3.憲法裁判所が判断を下すまで68条と237条を国会で討議するのを停止する臨時措置を訴える。そしてこの訴えはパンタミットとは関係はなく、プアタイ党への嫌がらせでないことを言っておく。

またこれ以外にも2兆バーツ借入法と和解法についても順次、憲法裁判所に訴えていくということで民主党は憲法裁判所内に民主党支部を設けたほうが便利になるし憲法裁判所は民主党内に裁判所を設けた方がいいという気がする。

そして29日の夕方になっても憲法裁判所は判定を下していない。理由としては上院・下院議長が今回の訴えに対して釈明文を憲法裁判所に提出するのを待つというのが表向きで本当はどのような決着つければいいのか迷っているのだろう。この問題になっている2550年憲法68条について考えてみると大切なのは1項にある次の点だと思う。

民主主義制度統治の転覆、もしくは本憲法が規定する方法に拠らない国の統治権の奪取のために、本憲法に基づく権利及び自由を行使することはできない。

訴えられたのは憲法改正動議を提出した上院・下院議員312人と動議を受け付けた両院の議長である。しかし彼らは与党で国の統治を担当しているのにどうして転覆させる必要があるのだろうか。それともこの条項の趣旨は2550年憲法に基づいた選挙で選ばれた政府以外に他の統治機関があり、その統治機関を転覆しようとしている意味のような気もするがはっきり分かるにはまだ時間がかかるだろう。



2013/05/29

<ม็อบVIP>หรือ<ม็อบตากผ้า>


<モッブ VIP><洗濯物を干すモッブ>

57日からタイの観光名所中心地であるサナームルアンで集会を続けているチャイワット・シンスワォンが主催するกลุ่มภาคีเครือข่ายประชาชน(民衆ネットワークグループ)に属するグループはいくつかあって次のとおりである。
โฆษกเครือข่ายภาคประชาชน(民衆ネットワーク)
กลุ่มธรรมาธิปไตย(仏法主義グループ)
กลุ่มกองทัพปลดแอกประชาชนเพื่อประชาธิปไตย(民主主義民衆解放グループ)
กลุ่มสภาเกษตรกรไทยแห่งชาติ(タイ農民議会グループ)
กลุ่มสมาพันธ์เกษตรกรไทย(タイ農民連合グループ)
แนวร่วมคนไทยรักชาติรักษาแผ่นดิน タイ愛国国境防衛連合)
当初はカンボジア国境問題で国連の決議を認めないということで集会を始めたようであるが、いつの間にか政府が崩壊するまで集会を続けるという事になったようである。主催者のチャイワット氏によると4万人の同調者がいるということであるがテントを張って暮らしている地方の住民たちが干す洗濯物を見ていると100軒くらいの村落から来たということで<洗濯物を干すモッブ>という名前がついたが実際は集会ができないサナームルアンで長期間いるということは管理者のバンコク都庁のお客さんというところで水、トイレのサービスとVIPなみのようである。

また527日には久しぶりにパンタミットが 3/2556という声明を出した。2556年で3通目ということだから少ないのだろう。

1.パンタミットは凶悪刑事事件を起こした者と一味またタクシン元首相の過ちを清算する法律に断固反対する。
2.与党政治家が目論む憲法68条の改正で国民が憲法裁判所に訴える機会がなくなると共に憲法291条を使った憲法の全面改正につながるので憲法裁判所に次のことを訴える。
-憲法裁判所が判決を出す前に憲法改正第二読会を緊急臨時措置で停止させるとことを訴える。
-国会は規定に違反する権利で改正しようとしているので却下するように訴える。
-上院・下院議員は憲法改正議題を取り消し、国会議長は憲法改正議題の第二、第三読会を取り上げないように命じるように訴える。
-憲法改正議題を提出して憲法裁判所を無視する政治家が所属する党の解党を訴える。
-政党の役員の公務停止5年間の措置をとるように訴える。

パンタミットは集会をやろうにも資金と人員不足と言う事と中心人物が保釈中で保釈の取り消しを恐れているのだと思うが、それ以外にも実際は民主党が影響力を持つ南部の人達を動員できない限り集会はできない状況になっているのだろう。2550年憲法改正の68条については4件の訴えがあり5月29日には憲法裁判所は判断するようだが、このパンタミットの訴えがまとめて判断されるのかそれとも延期になるのか微妙なところである。


2013/05/27

<หน้ากากขาว>กับ<ดีแต่พูด>


<白い仮面><お喋り上手>

4月29日のモンゴルでのインラック首相のスピーチそして追加するような5月29日の赤服ラーチャプラソン集会3年目でのタクシン元首相のスピーチ、両方がプアタイ党の進むべき方向を示唆するスピーチであったと思う。この方向を認めないグループは抵抗を強め始めたようである。このグループとは2549年のクーデターを構想、実行したグループで保守派ということもできるがよく分かりにくいので、これからは赤服が言うようにアマートとしておく。ではアマートはどうしてプアタイ党が進める方向を嫌うのか、それは開発を通じて人の格差をなくしバンコクと地方の格差をなくしていくというのが主な原因という気がする。バンコクに住むアマートにとって田舎の人が同じような待遇を受けるのは許しがたいのだろう。この人達ははっきりと言って長年続けてきた偏見を捨て去ることができないというのが理由だという気がする。

インラック政権に対する抵抗は国会および国会外を含めマスコミを通じて当初からあった現象であるが、最近はFacebook等のソーシャルメディアを使った攻撃が増えてきているようである。今のところ有名になっているのは白い仮面というグループでプアタイ党の公式Facebookがアップデートするたびに写真や内容が白い仮面に変わってきてるということである。この現象に対して同じくお喋り上手でプアタイ党を攻撃してきたアピシット民主党党首は、これらの現象は政府が表現の自由を狭めているので起こってきたことで、例えば先のバンコク知事選では役人が民主党の選挙妨害をしたと政府のせいにしているが、事実はバンコク知事選での一番の弊害と選挙違反は民主党のプアタイ党候補を攻撃するのに使った虚偽のスローガンであったことはいずれ選挙委員会によってはっきりとするだろう。少しづつクーデターの前の年である2548年に似通ってきて混乱が収まらなくなったという理由でクーデターが起ることを期待しているグループがざわめき始めたようである。そして感じるのはパンタミットが使った拍手のおもちゃと同じく白い仮面にも中間層の偏見と一人よがりが見えるようである。


2013/05/26

<พระราชบัญญัติว่าด้วยการปรองดองแห่งชาติ พ.ศ....>


<仏暦....年の国家和解法>

5月24日に国会に提出されたチャローム・ユーバムルン副首相の和解法は8月から始まる国会の一般定例会期において論議されることなると予想されるが、和解法については昨年の2555年に4件が提出され2日間の論議の末、民主党による国会での騒乱と国会外ではパンタミットによる騒乱で頓挫したままになっているので書いておく。

1.ソンティ・ブンヤラットグリン下院議員提出の和解案
全部で8項目があり2548年9月15日から2554年5月10日のあいだで政治家、政府職員、一般人の行為で裁判中の件については審問を中止して訴訟を取り下げる。判決が出た件については判決がなかったことにする。判決が出て収監中の者は釈放され、すべての人が恩赦の対象になる。また2549年9月19日のクーデターによる件については取り消され政治上の権利を剥奪された者は元通りになり、この件で被害を受けていた場合は被害請求を民事裁判所に訴えることができる。

2.サーマート・ゲーオミーチャイプアタイ党下院議員とグループ提出の和解案
全部で8項目がありソンティ・ブンヤラットグリン下院議員提出の和解案と近いがクーデターにより政治上の権利を剥奪された者は元通りになる。

3.ニヨム・ウォラパンヤープアタイ党下院議員とグループ提出の和解案
全部で5項目があり注目すべき点はクーデターによる被害者と加害者ともに恩赦を受けることができ、項目の3では他の和解案が触れていないクーデター後にできたコーモーチョーคณะมนตรีความมั่นคงแห่งชาติという国家安全評議会に従った者と機関を恩赦するという項目があることである。そしてもう1ヶ所違っているのは恩赦を受けるものは被害の請求をすることはできないということである。

4.ナタウット・サイグアプアタイ党下院議員およびノーポーチョー幹部とグループ提出の和解案
全部で7項目があり内容は1と2に似ているが、この間の集会により拘束されている収監者の罪状をなくし直ちに釈放するということと加害者と被害者共に中心人物の恩赦は認めていないことである。


2013/05/24

<21世紀東アジア青少年大交流計画>

5月22日~25日、日本を公式訪問したインラク首相は東京で開催された第19回目の“アジアの未来”国際会議に出席した後に、4月29日モンゴルの首都ウランバトールで開催された民主主義共同体会議でタイの民主主義についてのスピーチが国内で批判されて以来初めてタイの民主主義について語ったようである。現在もタイ国内で続いているいろいろな抗争はすべてのグループがタイに平和をもたらすために民主主義に則り我慢強く話しあえば解決できることで、タイを前進させ経済の発展のために民間の会社で勝ち得た経営手腕を国の運営にも応用できると考えている。また首相の座について2年間、政府はいろいろな民主主義的機会を設け国民の意見を聞き国民が民主主義的方法で安定が戻ってくるように努力してきたと語った。

そして首相とタクシン元首相の役割については国民は私を信頼して国の経営を任せてくれているが、タクシン元首相の妹であるという立場ではタクシン元首相が支持されてきた国の経営方法を捨てる訳にはいかずまた女性首相であることでの弱点については、男性女性という視点で見るのではなく国民は女性首相が務める政権に信頼を寄せ国の運営を委ねた結果、タイの経済は順調で投資環境の良くなっていると述べた。また日本とともに進めていくミャンマーへの投資については、日本は以前タイのイースタンシーボードに投資したようにミャンマーのタワーイ経済地区にも投資援助してミャンマーの民主主義のさらなる発展に協力すべきだと語った。最後にインラク首相は安倍首相が推進する東アジアの青年を日本に招聘して各国の交流を深めていくJENESYS 2.021世紀東アジア青少年大交流計画)について称賛をするとともに、日本を訪れるタイの観光客が増えていることも踏まえタイと日本の交流がより活発になることを願っていると語った。

インラック首相が日本で語ったことに対して民主党と取り巻き保守派はモンゴルの時のように難癖をつけることができるか探していると思うが何もなくても想像力で創りだしてくるだろう。それが彼らの仕事で役割なのだから。



2013/05/23

<การตัดสิทธิบุคคลในการพิทักษ์รัฐธรรมนูญ>


<憲法擁護においての個人の権利侵害>

5月22日、憲法裁判所は国会議長ソムサック・ギエットスラノン国会議長と312人の国会議員が進めている憲法改正68条は2550年憲法を擁護する国民の権利を侵害する結果になり憲法68条に反しているとして憲法裁判所に訴えた次の4件をまとめて検討することに決めたようである。

ソムチャーイ・サウェーンガーン 上院任命議員
ブアン・ヤシントーン 3機関保護志願国民グループの中心人物
ワリン・ティオジャラット 前上院任命議員 サヤーム団結グループ中心人物 
ソムジェート・ブンタノーム 前上院任命議員

この件についてはもう一度5月29日の会議で当事者双方を呼んで審問するのか、それとも審問なしに判定するのか討議するということである。これらの訴えで注目すべきは2550年憲法を擁護する国民というが、国民が憲法裁判所に訴えたのは聞いたことがなく、だいたいは上院任命議員と民主党党員である。この人達も国民ではあるが狙いは反タクシンまたはプアタイ党を解党するために憲法68条を使っているだけである。

また、パイブーン・ニティタワン上院任命議員とジャームサック・ピントーン前上院任命議員によるプアタイ党が会議において憲法改正問題、恩赦法問題、2兆バーツ借入法を討議したときにタクシン元首相がスカイプで参加したのは憲法68条に反すると訴えていた件については、党の会議に参加するのは政治家として普通のことでそのことで問題が起きたわけでもないということで全会一致で却下した。


2013/05/22

<ยุบรวม>กับ<ควบรวม>


<廃合><併合>

先ほど公表された教育省の学童が少ない60人以下の学校を廃校にするという計画では、教員が少ない学校では一人の教員が違った学年の教室で教える必要があり質が落ちてくるということと、学童数が少ないと予算も少なくなり必要な備品が揃えられないという状態になっているので統合するという考えのようである。たとえば60人の児童がいる学校では教師が2人で2クラスしかなく学年が違う児童も一緒に勉強をしなければならなくなっているということである。もし学童の学校が廃校になりより遠い学校に通う事になるなら政府は交通費として1人の1日あたりで10~15バーツを支給するということである。しかしあくまでも学校の質を考えての廃校で60人以下の学校でも質がいいところは残していき廃校する場合も保護者と地域の人達と話し合って決めるということである。

生徒数が120人以下の学校数 14,816校
生徒数が60人以下の学校数 8,962校
生徒数が41~60人以下の学校数 3,163校
生徒数が21~40人以下の学校数 2,090校
生徒数が20人以下の学校数 709校

現政権がタクシン政権から引き継いでいる開発党という性質は分かるが、教育を開発と同レベルで考えるのは問題があるのではないだろうか。教育水準を上げて成績が良い生徒を作っていく開発が各種の個性を持った生徒を画一化してしまうのではないだろうか。タクシン政権時代からそれまで見放されてきた地方・田舎に焦点を当てて生活水準の向上を図る開発をやってきたことは認めるが教育に関しては保守的な考えも取り入れていくべきだと思うし慎重に考えるべきだと思う。

股この計画に対して民主党の元文部大臣でナコンシータマラート県議員であるシナウォン・ブンヤギエット議員は国民の権利を制限するもので憲法違反であると反対している。またもやこの政策も憲法裁判所に訴えられるのであろうか。


2013/05/21

<กระชับพื้นที่>หรือ<ล้อมฆ่า ณ ราชประสงค์>



<包囲区域を狭めていく><ラーチャプラソンにて包囲壊滅>

2556年5月19日はラーチャプラソンでの赤服集会が鎮圧されて3年目になる。民主主義を望む国民は赤服集会に参加して民主主義を踏みにじったクーデターそしてクーデター以降に選挙を経ずにできたアピシット民主党政権に反対して国会解散を要求したがアピシット政権と民主党は何を考えたのか実弾とスナイパーを使って集会を壊滅させようとして100人の死者と2,000人の負傷者を出した結果になった。これまでのタイの歴史で何度かおこった集会鎮圧との大きな違いは、以前は恩赦という形で曖昧に終わったのが、今回は弾圧する側とされた側が司法の場で裁かれることになったことである。

2516年10月14日の朝から15日の夜にかけての騒乱での死者は77人で責任者であるタノーム・ギティカジョーン元帥は国外逃亡した。2519年10月6日の朝から午後にかけての騒乱では46人が亡くなり、夕方にはクーデターが発生した。2535年5月18日の騒乱は死者数が40人で行方不明者が多数である。責任者であるスジンダー・クラープラユーン大将は一切の公務から退きソーイラノーンの家でおとなしくすることになった。2553年4月10日から5月19日までの39日間の騒乱では100人が死亡して2,000が負傷するという結果になった。タノーム・ギティカジョーン元帥とスジンダー・クラープラユーン大将の両人はなんとか責任をとって公務から退き恩赦をもらったようであるが、2553年の責任者アピシット民主党党首は2554年7月まで政権を続けた訳であるが、この違いは集会側には黒服武装集団がいて彼らが集会に参加している民衆を殺害したと集会はテロリストが主催したもので19日の集会解散後に起こった各地での火災を<เผาบ้าน เผาเมือง>家を燃やして国を燃やすという標語が明らかなように一切の責任を集会主催者である赤服集団になすりつけたことであろう。この集会を鎮圧したアピシット政権は騒乱後も政権を続け独自の調査委員会を立ちあげ真実を探り出そうとしたが、反対に真実を隠す結果になり裁判が真実を少しづつであるが暴きだしてきているようである。

まずは<เผาบ้าน เผาเมือง>の象徴であったセントラルワールド放火の容疑で捕まった赤服が無罪になり、保険を請求する民事裁判では赤服集団はテロリストではないと言明している。また100人の死者の司法解剖裁判は8件の結果が出て14件が裁判中で残りは検事局で捜査中だということである。では黒服武装集団はどうなったのかだが、鎮圧時には鎮圧する側としては黒服を壊滅するのが当然の筈なのだが、一人として逮捕されるか負傷した黒服がいないところを見るとおそらく初めからいなかったのだろう。一体いつ頃からソーオーチョー(非常事態対策本部)が黒服集団-テロリスト-<เผาบ้าน เผาเมือง>で集会を弾圧する口実にしたのか、またそれにより軍に正当性を与え実弾とスナイパーを使ったのはどうしてなのか、真実はアピシット、ステープ裁判で出てくるのだろうか、今のところ3人を殺害する指示を与えたという罪状を背負った二人であるが、これからも増えていくし残りの人生は裁判の連続ということになると思うが、犠牲者および国民に陳謝することはあるのだろうか疑問である。


2013/05/20

<รำลึก3ปีพฤาภา53>


<2553年5月 3年を偲ぶ>

2556年5月19日、バンコクの一つの中心地ラーチャプラソン交差点から北へプラトゥーナーム交差点そして南へはルンピニー公園がある交差点、この地区にどれほどの人たちが集まってきたのだろうか、新聞発表では5万人以上、ノーポーチョー(反独裁民主戦線)の発表では10万人台と集会参加者の人数がいつもはっきりしないタイであるが赤服学校の校長でイサーン地方の責任者であるニシット・シンプライが舞台上でイサーン各地の代表を紹介するときにウドーンタニーから来たバスが90台と言っていたので1台に45人は乗れるとして4,050人で、イサーン地方と北部からのバスは何十台という単位だったのでどれくらいの参加者が来たのか分かるという気がする。そして3周年目において南部からの赤服がまた増えたというのが印象的だった。おそらく南部を地盤とする民主党としては歯がゆいというか恐怖を感じているだろう。

10時40分には予定より10分遅れてタクシン元首相がスカイプを使って集会に参加したわけであるが、これまでとは違い表情には怒りがあり自身でも今日の集会では重要な発言をする言ったとおりにインラック首相のモンゴルでのスピーチに対する批判また憲法改正の推進を含めて、これ以上は後退できないことをはっきりと表明したという気がする。そして3年前のセントラルワールド火災の真犯人を捕まえた人には1,000万バーツの賞金を出すということである。またノーポーチョー(反独裁民主戦線)は3年目の集会のまとめとして次のような声明を発表した。

1.本物の民主主義の実現に向けて国民に権力を返還するように求め平和手段で闘い犠牲になった英雄を賛美する。
2.闘いで犠牲になり負傷した英雄と自由をなくした英雄そして司法により起訴された英雄の正義を要求する。政府は国内と海外に事件の真相を伝え迅速に事件の指揮者を法的措置にすべきである。
3.この集会は軍および司法そしてアムマート制度によるいかなるクーデターにも抵抗することを表明する。
4.この集会は2549年のクーデターにより発生した憲法および不公平な法律を排除することを表明する。



2013/05/18

<ข้อหาร่วมกันก่อให้ผู้อื่นฆ่าคนตายโดยเจตนาเล็งเห็นผล>


<故意に他者に殺人をさせた罪>

514日、アピシット元首相とステープ元副首相はDSI特別犯罪捜査局で2回目になる罪状の申し渡しを受けた。今回の被害者は2553515日、軍の発砲で亡くなったクナーゴーン・シースワン(ノーンイーサー)と同じく重症を負ったサモーン・マイトーンでアピシット元首相とステープ元副首相の罪状はソーオーチョー(非常事態対策本部)のもとで軍に対して発砲する命令を出して死者を出した<故意に他者に殺人をさせた罪>1回目と同じである。これにより死者二人、重傷者一人に対する罪状を負ったわけであるが動揺している様子もないところを見ると彼ら民主党を何度も無罪にしてきた司法を信頼しているのか、いずれ政権を取った時には裁判を終わらすことができるという自信があるのかもしれない。ただアピシット政権時には味方であったDSIが懸命に有罪にしようとしているのが不満のようでDSIには起訴する権限がなく、できるのはポーポーチョー(国家不正防止制圧委員会)であるとしている。もちろんポーポーチョーは名前の通り政治家と公務員の不正を摘発する独立機関でアピシット元首相とステープ元副首相が在任中に赤服の民主主義要求集会をソーオーチョー(非常事態対策本部)を立ちあげ弾圧し結果として99人の死者を出した事実は不正に値するのでポーポーチョーも摘発することになるだろうが、99人の死者を出したのは刑事事件そのものなのだからDSIが捜査して起訴することも当然のことだろう。アピシット元首相はノーポーチョー死亡者検死ファイルで軍の発砲で亡くなったことが明らかになり始めているのにもかかわらず、一人として捕まえることができなかった黒服テロリストという幽霊が発砲したと未だに主張しているようである。



2013/05/17

<สมาชิกภาพ ส.ส.>


<下院議員資格>
 
516日、憲法裁判所の報道官は下院議員134人の要望を元にした国会議長が訴えたアピシット民主党党首の議員資格問題について72の多数決で受理すると決めたと発表した。この問題は昨年の国防相によるアピシット党首の陸軍少尉の剥奪が原因になっている。何十年にも渡り反対する党から訴えられてきたのもかかわらず何とか切り抜けてきたが、今回のスガムポン国防相はタクシン元首相に近いということもあり強硬でアピシット党首は徴兵義務を怠り偽造文書を使ってChulachomklao Royal Military Academyの教師になり陸軍位階である少尉を得たのは不正行為であるとして少尉の位階を剥奪した。そしてこのような重大な不正行為した人間が議員を続けることができるのかという疑問が憲法裁判所の判断に委ねられたわけである。

これまでも民主党を助けてきた憲法裁判所が果たしてアピシット党首に不利になる判断をするのか、それとも選挙で負け続けるアピシット党首を引き下ろす良い機会であると考えるのかは2549年のクーデター以降に結集した保守層で反タクシン勢力の考え次第だろう。一方同時に現在進行している2550年憲法改正が憲法68条に違反するという訴えがまたも受理され、これで分かっているだけでも3,4件になったと思う。憲法裁判所も今回は国会からの予想以上の反発に出会い、どのような判断を下すかは不明であるが2550年憲法によってタクシン元首相の勢力を壊滅させようとする民主党、上院議員任命グループ、憲法裁判所を始めとする独立機関にとっては決して譲れない線で強硬に出てくることは予想されることである。



2013/05/16

<คิดเก่ง-ทำเก่ง>


<優れた考え-優れた仕事>

5月13日に開催された民主党執行部の会議でアロンゴーン副党首が提案していた民主党改革案は党内長老から強い反対が出たようである。特にチュアン・リークパイはアロンゴーン副党首の民主党改革案に対して理想が欠けていてポピュリズムを強調したプアタイ党と同じであると激怒したということである。
アロンゴーン副党首は22年間民主党に在籍して、その間タクシン政権の不正調査委員会の委員長を務めタクシン政権が5年間の間に刑務所を恐れず死を恐れず政策を実行してきたことは理想であったのではないかと思っているようである。アロンゴーン副党首が民主党改革で基本においているのは21年間ものあいだ選挙に勝てなかったのは理想を言うばかりで行動がなかったということで、これからは"คิดเก่ง-ทำเก่ง"優れた考え-優れた仕事をできる党にして選挙に勝つべきだということだと思う。

チュアン・リークパイがアロンゴーン副党首の提案を否定するのは初めてではなく4月27日のパークワームチン集会ではアロンゴーン副党首を批判して選挙に勝つことを考えるだけで理想を無くしてしまうなら選挙などに勝つ必要はないとまで言い切っているが、選挙に勝たずに政権を持ってくることができるのだろうか。また政権につかないのに理想を実現することができるのか。このあたりをじっくりと考えると政治経験が長いこの人が21年の野党のあいだに考えたのは選挙とはどうしても不正があるもので選挙などには頼らずに違う方法で政権を持ってくればよいのだという考えになったのだろう。実際に2551年には軍の力を借りて不正な方法で政権に付いているのが証明しているのだろう。民主党の理想の4番目には党は独裁制度を支持しないとあるのだが最近のクーデターを支持する発言を聞いていると民主党の理想も怪しいものになったようだ。


2013/05/15

<การวิสามัญฆาตกรรม>


<超法規的殺害>

<超法規的殺害>とは係員が公務執行中に人を殺害するに至ることであるとともに、司法手順を経ずに殺害したことを言う。タクシン政権のときに起こった麻薬制圧戦争で麻薬取引業者が殺害されたことをこのように呼ぶようである。

民主党はインラック首相のスピーチがタイの民主主義を歪めているとして世界に向けて声明を出したが、要約するとタクシン元首相を悪者に仕立てあげるという常套手段で違っているのは悪者をやっつけるために軍が介入したという認識に変わったということのようである。軍そのものが革命・クーデターと認めているのに民主党はお節介にも介入という言葉を使いクーデターという言葉は使いたくないようである。どのような教育を受けてこのようなことを考えることができる頭の構造になったのか、中心人物は海外で教育を受けたせいか、海外に長くいたせいでタイのことは理解できない頭の構造になったのだろう。

この声明についてはタクシン元首相のタイにおける顧問弁護士ノパドン・パタマが反論しているが次のとおりである。

1.タクシン元首相と家族は政界に入る2537年前に600億バーツ以上と考えられる財産を持ってい。2537年に政界に入った時は外務大臣になった訳であるが、2544年と2548年にはタイで初めての連続2期に渡り選挙で勝つ首相になった。家族が持ち主であった通信業は独占企業ではなく競争相手がいたし通信業の利権は2532年に法律に基づいて取得したもので民主党が言う軍事政権から違法に取得したというのは虚偽である。

2.タクシン元首相が麻薬制圧戦争で数千人を超法規的に殺害したという民主党の非難は民主党の想像に基づいた非難でポーポーソー(Office of the narcotics control board)の公式声明では死者は50人だけで2,500人を言う数字はその年の全体の事件による死者数で、タクシン元首相は麻薬取引者を殺害する政策をやったことはないし、法律を守る係員に誰かを殺害するようにと命令したこともない。

3.2549年のクーデターは1,400万人の国民に支持された選挙で選ばれた民主主義政権であるタクシン政権を倒すために企てられたもので民主党がクーデターを擁護する口実は恥以外の何物でもない。クーデター勢力は民主主義憲法である2540年憲法を破り捨てた上にパンタミットと保守層と図って民主主義でない2550年憲法を押し付け未だに続けている。民主党がクーデターを軍による介入と言い換えたのは、クーデターが民主主義を破壊し2550年憲法を国民に無理矢理に選択させたことを考えれば恥ずかしい行為であるといういがに言いようがない。

4.国民は2549年のクーデターを否定しているにもかかわらず民主主義に抵抗する勢力は、2550年のパランプラチャーチョン党が勝った選挙ではクーデター勢力を使い選挙妨害をした上にパランプラチャーチョン党が政権を取るとパンタミットを使い空港閉鎖等で混乱させてから遂には憲法裁判所を使ってサマック・スントラウェート政権を倒したわけである。

5.2551年の憲法裁判所によるパランプラチャーチョン党解党の判決では、党幹部の一人が選挙前に地方のリーダーに2万バーツを渡したという口実で解党して109人の政治家が5年間も公職に付けないという判決を出したわけである。

6.民主党が言うサマック・スントラウェート政権とソムチャーイ・ウォンサワット政権が恩赦法を成立させてタクシン元首相の罪を白紙に戻して帰国させようとしたという非難は虚偽である。

7.2551年のパランプラチャーチョン党の解党後には沈黙のクーデターが起こりパランプラチャーチョン党員の一部と他の政党を強制的に民主党を支持させアピシット政権ができ、正当性のない政権に反対するプアタイ党と赤服集団の抗議行動が起こったわけである。

8.タイ国民は民主主義と法の原則を望んだだけで各地から集まってきた赤服集団は、クーデターそのものとそれ以降のダブルスタンダート制度また不法な政権であるアピシット政権に抗議するために解散選挙を要求したがアピシット政権の実弾を使った弾圧により多くの国民と兵隊が犠牲になった。

9.タクシン元首相に対する刑事訴訟とテロリズム容疑すべては、クーデター以降に設立されたタクシン元首相に政治的に対立するメンバーで構成されたコートーソー(国家損失行為調査委員会)により告発されたもので、法の原則に則ったものでないということは明らかである。そして刑事訴訟ではラッチャダーピーセークの土地売買に関する訴訟が有罪になっただけである。また赤服集会を引き起こしたのがタクシン元首相であるというのは間違いで赤服が主張する民主主義とすべての国民に対する公平ということに賛成して応援しただけである。テロリズムの罪については赤服の集会にビデオリンクで参加したタクシン元首相が言った「もし軍が赤服の集会に対して強硬な集団をとるようなら赤服集団は各地の県庁に集まるように」と言っただけのことである。

10.2554年の下院選挙でプアタイ党は500議席中の265議席を獲得してインラク首相が首相の座についた正当な政権である。政策においてはタクシン元首相が考えプアタイ党が実行する政権である。民主党はインラク首相が三権分立という原則を無視して裁判権に介入していると非難しているが、実際は国会の立法権を犯そうとして憲法を勝手に解釈しているのは憲法裁判所である。


2013/05/12

<แผ่นเสียงตกร่อง>


<溝に落ちたレコード>

タイトルは直訳で分からないが意味することは、特に政治家のことで同じことを何度も壊れたレコードのように言っていることを表現している。5月10日に在タイ国モンゴル大使館のH.E. Mr. Chimeddorj Battumur大使は、タイの新聞のインタビューに答えてインラク首相のスピーチについて答える能力はないが、首都ウランバトールで開催された民主主義共同体会議には各国の大臣が参加して自国における民主主義を推進していく上での障害や問題を共有することを目的とした会議で110カ国の3,000人が参加したということである。この110カ国すべてに送ったかどうか知らないが民主党はインラク首相のスピーチに反対する声明文を何カ国には送ったということで次がその12項目である。内容は民主党が言い続けてきたことで民主党だけの見解でしっかりと物事を把握している国民は民主党の反タクシン運動への限度を超えた熱中は民主党を衰退させていることを見通しているだろう。また重大なのはクーデターを軍による介入と言い換えたことである。タイ国内ではรัฐประหาร(クーデター)をปฏิวัติ(革命)と言い換えて和らげることはできるが、今回は海外に向けた声明で英語ということでcoup d'etatをrevolutionにするわけにもいかずにintervention(介入)という言葉を持ってきたのだろう。要するに民主党の自信なさが顕著に現れているのだと思う。

1.タクシン・シナワットと家族は2534年のクーデター政権から利権を受け取り通信ビジネスを成功させ富豪になった。
2.タクシン政権は不正と汚職だらけで自身と仲間の利益のために法律を改正し麻薬制圧では多くの人を殺害した。
3.独立機関に介入して審査制度のバランスを崩し不満に思う多くの国民が反対運動を起こすに至った。
4.国民間の対立を支持したことで2549年9月には軍が介入することになった。
5.軍の介入後にはタイで初めての国民投票を経た憲法が成立した。
6.選挙後にはタクシン・シナワットが支持するサマック・スントラウェート政権できたことで、タクシン・シナワットは不正事件の裁判のために帰国したが刑期2年の判決が出る前に国外に出て現在に至るまで帰国できる見込みはない。
7.サマック・スントラウェート首相は憲法違反で首相の地位を追われ、次にタクシン・シナワットの妹の夫であるソムチャーイ・ウォンサワット政権ができた。この2政権は憲法改正を目指しタクシン・シナワットの有罪を白紙にする法律を作ろうとして国民の反対集会を引き起こした。
8.ソムチャーイ・ウォンサワット政権は不正選挙でパランプラチャーチョン党が解党処置になりソムチャーイ首相は首相の地位を追われた。そしてパランプラチャーチョン党を支持していた一部分がアピシット・ウェーチャーシーワを支持したことによりアピシット政権ができた。
9.タクシン・シナワットはプアタイ党、赤服集団、武装集団という3グループを使ってアピシット政権に対抗した。
10.赤服の集会は法律違反で武器を使用することで政府の職員と国民を傷つけた。
11.インラック政権は兄の罪を白紙に戻すことに努め独立機関と司法を破壊しようとしている。
12.警察とDSI(特別捜査局)を使って反対派を潰そうとしている。


2013/05/11

<ผีคอมมิวนิสต์>กับ<ผีทักษิณ>


<コミュニストお化け><タクシンお化け>

約40年前のサリット元帥、タノーム元帥軍事政権(2500-2516)の時に軍事政権の必要性を国民に納得させるべく<コミュニストお化け>が考えだされたのだと思う。<コミュニストお化け>は農民を水牛の代わりとして田んぼを耕させ子どもたちは両親を旧い階級として認めず批判して、タイ国民は<コミュニストお化け>を恐れその背後にある中国、ベトナム、ソ連を恐れたようである。しかし2518年にククリット首相が中国を訪れて関係を回復させたことにより、次第と<コミュニストお化け>は国民の頭から消えて行ったが未だに恐れる人はいるようである。

そして次は<タクシンお化け>が生まれてきて2549年には、この新しいお化けを恐れる旧支配層の要求でクーデターが起こり、彼らは歓迎の意志を表明するために戦車に花を持って行ったりしたわけである。しかし40年前とは違い国の経営を軍人中心でやるには複雑になりすぎていてまた<コミュニストお化け>の時は国民の大多数を恐れさすことができたが<タクシンお化け>は反対に賛成する国民のほうが多く、彼ら旧支配層は2550年憲法と独立機関の上に独裁体制を支援せざるを得なくなった民主党を使って<タクシンお化け>に抵抗しているということだろう。

特にインラック首相がモンゴルでのスピーチでタクシン元首相を擁護する発言をすると<タクシンお化け>で自分たちを正当化しようとしてきた勢力は、一斉に反撃を始め<タクシンお化け>がクーデター以前にどのような悪いことをしたか、また今後も全国制覇を狙っているなど虚偽を並べ立てて<タクシンお化け>が恐怖のもとでより大きく恐ろしいものに見えるようにしているようである。現在法案として出ている2020年タイランド法はタクシン勢力が汚職をするための法案だと反対しているのを始めとして2550年憲法改正はタクシン元首相がタイに帰国するのを助けるものだと反対し、南部3県の問題を解決すべくマレーシアで当事者同士が交渉しているのを交渉相手を間違えているそして交渉以降テロ事件は反対に増え始めていると反対して、またここでもこの交渉には<タクシンお化け>が利益を得ようとしてやっているとまったくの根拠のないデマで抵抗しているようである。さてこの<タクシンお化け>であるがタクシン元首相が帰国することで解決するのか、それともこれ以上に大きくなっていくのかどうであろうか。


2013/05/09

<ปาฐกถา>หรือ<สพีชฺ>


<演説><speech>

これまでは演説としてきたがタイの新聞も<ปาฐกถา>から<สพีชฺ>に変わってきたのでスピーチにする。演説という言い方は聞くと硬く聞こえるのでスピーチのほうがいいような気がする。タイ語でも<ปาฐกถา>は硬いので<สพีชฺ>になったのだろう。インラック首相のスピーチの波紋は収まらず今月の8日には首相府のWebがハッキングされ英語で次のような言葉があったということである。I know that I am the worst Prime Minister  ever in The Thailand history.

さて続けて非難を続けている民主党は自党の改革を疎かにして首相を非難することに時間を費やしているようである。民主党としては国連を始めとしてタイ国内にある各国大使館そして商工会議所、そして会議の主催国であるモンゴルと各マスコミにも手紙を配布するということである。民主党報道官チャワノン・イントラゴーマーンスットによるとインラック首相のスピーチはタイの民主主義の方法を歪めていて外国に誤解を与え外国からの投資にも影響を与えるということである。タクシン元首相が首相に就任してから国会での大多数を背景に官僚や司法に介入して独裁体制を築こうとしたという認識が民主党にはあり、このことをスピーチでは説明していないので外国に誤解を与えるということだろう。しかし国会で大多数をとったタクシン元首相の政策は当然国民に支持されて、支持されない民主党は少数派になったという認識がかけているという気がする。民主主義の方法を歪めている主張で大事な点は民主党はクーデターをタイにおける民主主義の一方法だと考えていることだろう。また2553年の赤服集会はタクシン元首相が海外から指揮をしていたという主張はこれまで通りだが、今回チャワノン報道官はインラック首相も2553年の赤服集会に関わっていたという非難は、インラック首相が政治の世界に出てきたのは25547月の下院選挙の2ヶ月前からで、2553年当時はビジネス界にいたのは誰もが知っていることでどう考えても赤服集会に関わっていたとは考えられないのだが、真実がないので虚偽により相手を攻撃するのが民主党の常套手段といえばその通りなのだろう。

一方、ノーポーチョー(反独裁民主戦線)の幹部であるナタウット・サイグア商業省副大臣は、民主党の声明を読んで重要点として次の2項目を上げている。
1.タクシン元首相の政府の運営のやり方がクーデターを引き起こした。
2.2553年の赤服の集会にはタクシン元首相が裏にいて集会は過激になっていった。
とした上で民主党が主張するクーデターは政治上の正義であったという見解は罪を公表して外国から蔑まられるだけで海外でクーデターがどのように評価されているかは、クーデター勢力によってできたアピシット政権が外国から相手にされなかったことを考えると明白であるということである。また今回のスピーチによりタイの信頼が傷ついたことをインラック首相は国民に謝罪すべきという意見については、まずは2553年の集会で99人の死者と2,000人の負傷者を出したアピシット民主党党首こそ謝罪に値するとしている。


2013/05/07

<ดีแต่ปาก>กับ<เก่งแต่พูด>


<口だけが達者><お喋り上手>
 
54日にアユタヤでアロンゴーン副党首が提案した民主党改革案に基づいて開催された民主党の“Primary and Caucus制度を使ったアユタヤ選挙区の立候補者を幅広く選別するパイロットプロジェクト”というセミナーにおいてチャロームチャイ・シーオーン幹事長は民主党の改革について一部の党員の間では党を分裂させるという懸念があるが民主党は決して分裂することはないし、民主党の長所は民主主義と独裁に反対する明確な理想を持っていると強調した。一方のアロンゴーン副党首はこれからの民主党は一部の権力者の目線にあっただけだったがこれからは国民の目線に戻らなければならない。これまでは独裁にもたれかかっていたが改めなければならない。とはっきりとこれまでの民主党の体質を認めている。また<口だけが達者><お喋り上手>というマスコミがつけた名前を認めた上で、これからは仕事が出来る民主党になり優秀な考え、優秀な仕事、優秀な管理経営でやっていくべきだとしている。一番初めのセミナーがアユタヤになった理由はアロンゴーン副党首が中部を取り仕切っていることもあるが、これまでアユタヤで民主党議員が出たことがないということも理由のようである。


2013/05/06

<การกดดัน>กับ<การคว่ำบาตร>


<圧力><ボイコット>

4月29日のモンゴルでの首相の演説から一週間が経つが、未だに演説に対する攻撃は収まっていないようである。主にソーシャルメディア等のインターネット上での攻撃が多く、大部分はまともな論理で非難するのではなく感情で非難しているようで非難する言葉も予想以上に厳しい表現というか、聞くに堪えない言葉で攻撃を繰り返しているようである。特に目立っているのはチャイ・ラーチャワットという漫画家が個人のFBにインラック首相の写真とともに載せた“กะหรี่ไม่ใช่หญิงคนชั่ว กระหรี่แค่เร่ขายตัว แต่หญิงคนชั่วเที่ยวเร่ขายชาติ”「娼婦は悪い女ではない。娼婦は体を売っているだけであるが悪女は外国に行って売国をしている」という言葉であるが、おそらく娼婦は体を売っているという前の言葉に合わせて悪女は売っているということを言いたかったのだと思う。では何を売るのかと考え一番強烈な国を売るにしたのだろう。しかし本来は“ทรยศ”裏切るという言葉を使って国を裏切ったでよかったともう。こちらの方がはっきりと意味が伝わっていたと思うがいかがだろうか。

今回、演説を読みなおしてみて思ったのはインラック首相が本当に言いたかったことを理解できていないのではないかという気がした。それはすべての国民は法律を遵守して民主主義を創造していかなければならないに続けて最後のほうで言っている次の言葉である。「さらに外国の友人が重要な存在であると学んだことである。民主主義制度において各国からの圧力はタイの民主主義を存続させることができて民主主義を止めようとする運動を認めずボイコットすることは重要なシステムだと思う」ということで簡単にいえば外国に援助を前もって要請しているということだろう。これに対しては現政府は議会内でも多数派でどうして国内問題を政府の力で解決できないのかという疑問が出るのは当然のことだろう。首相の頭か心のなかには2553年の反民主主義に対する抵抗運動で99人の死者と2,000人の負傷者を出した記憶があるのだろう。もし2549年のように武器で政権を倒すという事が起これば何人の死者が出るのか予想できないだろう。政権ができてから2年間に20各国以上も歩きまわったのは決してチャイ・ラーチャワットという漫画家が言うように国を売るためではなく女性首相という利点を生かした遊説予防策だと思うことはできないだろうか。

ついでと言っては何であるが<การคว่ำบาตร>バート(僧侶が托鉢するときの鉢)をひっくり返すでボイコットというのは、僧侶が在家者に問題があり拒否する時には鉢をひっくり返して喜捨を受けないという意志を表明するという仏教用語である。


2013/05/05

<ส.ว.ผู้รักชาติ>


<愛国上院議員>

タイの上院任命議員73人の大部分がクーデター体制を受け継ぐ反タクシン勢力と考えていいだろう。4月下旬に閉会した国会の立法定例会期では条項ごとの憲法改正法が第一読会を通過している。大まかに3部に分かれた改正法には111条の改正があり、上院はすべてが選挙で議員が選ばれることになり任命議員は消失してしまう。議員特権というタイの一般の国民から考えれば優遇されすぎと思われるほどの特権を失うことを恐れる任命議員は与党に対する反撃策を考えているのは当然だろう。そして起こったのがインラック首相のモンゴルにおける演説で任命議員は"ส.ว.ผู้รักชาติ"という愛国上院議員グループを58人で立ちあげインラック首相の演説は真実を歪め国に被害をもたらしたとして国民に謝罪すべきであるとした上に次の上院委員会に呼び出し究明するということである。外交委員会、宗教・道徳・倫理・芸術・文化委員会、人権・権利自由・消費者保護委員会、汚職問題教育・審査・グッドガバナンス促進委員会というたいそうな名前の委員会ばかりであるが上院任命は各種職業の有識者から選ばれるので、このような名前の委員会が成立して運営していけるのだろう。

問題は愛国上院議員グループが揮発油のように可燃性が高い愛国というグループ名をつけたことだろう。愛郷心や愛国心は村民であり国民である誰もが持っている自然の感情で眠っているものである。わざわざ愛国という言葉で旗を立てるのは、旗のもとに人を集め敵を作り反愛国・売国という烙印を押し攻撃するという古くからある手段であると思う。愛国主義が旗を立てる時はスケープゴートを国内か国外で作り上げ攻撃をして勢力を増やして自陣が有利にたつようにするのだろう。

インラック首相が海外において自国の問題をさらけ出したことについて亡命政権の首相のようだという批判があるが、それはこの国のクーデターの歴史を見ていないからではっきり言って今のところクーデターを防ぐ方法は国内にはないだろう。そしてクーデターが国民のためでなく一部の特権階級の権利を守るために起こっているということを理解するべきである。首相は亡命政権では決してない、だが亡命政権にならないために演説をあえてしたとは考えられないだろうか。クーデターのことを海外で話したことを国の恥だと思う人は、一部のクーデターを正義だと思っている人たちで国民はそうは思っていないだろう。


2013/05/03

<กระหรี่แค่เร่ขายตัว>กับ<หญิงคนชั่วเร่ขายชาติ>


<娼婦は体を売り歩いている><悪女は国を売り歩いている>

先日インラック首相がモンゴルで開催された民主主義共同体会議でタイの民主主義について語った演説は、現在の政権に反対する保守層もしくはクーデター支持派から予想以上の反論が出ている。言葉で一番強烈なのはタイラット紙に政治風刺漫画を掲載しているチャイ・ラーチャワットが個人のFBにインラック首相の写真とともに載せたタイトルの言葉である。タイトルは要約しているので実際の発言は次のとおりである。

โปรดเข้าใจ กะหรี่ไม่ใช่หญิงคนชั่ว กระหรี่แค่เร่ขายตัว แต่หญิงคนชั่วเที่ยวเร่ขายชาติ”「娼婦は悪い女ではない。娼婦は体を売っているだけであるが悪女は外国に行って国を売っている」

1,首相の演説に何故ここまで過激な反論が出てくるのかを考えると、まずは首相に就任してからこれまで首相は野党民主党、上院任命議員らクーデター支持派からどのような事を言われ攻撃されてもおとなしく実務をこなしてきて、彼らから見れば首相はタクシン元首相のダミーで首相という責務は国民のためという標語とともに懸命にこなしていく女性首相だと思われていたのだろう。その象徴は2554年の首相就任後に起こった大洪水だろう。予想もしなかった大被害に直面して首相とプアタイ党は懸命に働き行動力があると国民からは認められたはずである。またわざとかも知れないが政治論争に巻き込まれるのを避けてきた首相は口だけが達者の政治家である前政権アピシット民主党党首と比較され口数が少ない遠慮がちな首相だと思われてきたフシがある。そしておそらく就任後初めて民主主義を阻むクーデター、それ以降の司法強調主義を語り、兄であるタクシン元首相のことを擁護した演説は、首相が政治駆け引きの表舞台についにでてきたと思われ予想以上の反論になったという気がする。

2,演説で首相は事実を語ったにすぎないのにどうして売国になるのか、ここは想像であるがチャイ・ラーチャワットを筆頭にクーデター支持派はタイで起こった事件を外国には秘密の事件にしておきたいという思いがあり、というのは彼らにも後ろめたさがあるのだろう。クーデターそして赤服集会を実弾を使って鎮圧をした事実は、彼らにとってはタイ独自の民主主義なのだろう。また自国の首相と娼婦を比較した漫画家については、偏見から逃れることができない保守層の一人であって大した問題にはならないだろう。もし嫌いならタイラット紙を買わないか買ったとしても5面に載っている漫画を読まなければいいことである。