2013/05/12

<แผ่นเสียงตกร่อง>


<溝に落ちたレコード>

タイトルは直訳で分からないが意味することは、特に政治家のことで同じことを何度も壊れたレコードのように言っていることを表現している。5月10日に在タイ国モンゴル大使館のH.E. Mr. Chimeddorj Battumur大使は、タイの新聞のインタビューに答えてインラク首相のスピーチについて答える能力はないが、首都ウランバトールで開催された民主主義共同体会議には各国の大臣が参加して自国における民主主義を推進していく上での障害や問題を共有することを目的とした会議で110カ国の3,000人が参加したということである。この110カ国すべてに送ったかどうか知らないが民主党はインラク首相のスピーチに反対する声明文を何カ国には送ったということで次がその12項目である。内容は民主党が言い続けてきたことで民主党だけの見解でしっかりと物事を把握している国民は民主党の反タクシン運動への限度を超えた熱中は民主党を衰退させていることを見通しているだろう。また重大なのはクーデターを軍による介入と言い換えたことである。タイ国内ではรัฐประหาร(クーデター)をปฏิวัติ(革命)と言い換えて和らげることはできるが、今回は海外に向けた声明で英語ということでcoup d'etatをrevolutionにするわけにもいかずにintervention(介入)という言葉を持ってきたのだろう。要するに民主党の自信なさが顕著に現れているのだと思う。

1.タクシン・シナワットと家族は2534年のクーデター政権から利権を受け取り通信ビジネスを成功させ富豪になった。
2.タクシン政権は不正と汚職だらけで自身と仲間の利益のために法律を改正し麻薬制圧では多くの人を殺害した。
3.独立機関に介入して審査制度のバランスを崩し不満に思う多くの国民が反対運動を起こすに至った。
4.国民間の対立を支持したことで2549年9月には軍が介入することになった。
5.軍の介入後にはタイで初めての国民投票を経た憲法が成立した。
6.選挙後にはタクシン・シナワットが支持するサマック・スントラウェート政権できたことで、タクシン・シナワットは不正事件の裁判のために帰国したが刑期2年の判決が出る前に国外に出て現在に至るまで帰国できる見込みはない。
7.サマック・スントラウェート首相は憲法違反で首相の地位を追われ、次にタクシン・シナワットの妹の夫であるソムチャーイ・ウォンサワット政権ができた。この2政権は憲法改正を目指しタクシン・シナワットの有罪を白紙にする法律を作ろうとして国民の反対集会を引き起こした。
8.ソムチャーイ・ウォンサワット政権は不正選挙でパランプラチャーチョン党が解党処置になりソムチャーイ首相は首相の地位を追われた。そしてパランプラチャーチョン党を支持していた一部分がアピシット・ウェーチャーシーワを支持したことによりアピシット政権ができた。
9.タクシン・シナワットはプアタイ党、赤服集団、武装集団という3グループを使ってアピシット政権に対抗した。
10.赤服の集会は法律違反で武器を使用することで政府の職員と国民を傷つけた。
11.インラック政権は兄の罪を白紙に戻すことに努め独立機関と司法を破壊しようとしている。
12.警察とDSI(特別捜査局)を使って反対派を潰そうとしている。


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