2013/04/13

<รักชาติ>กับ<คลั่งชาติ>


<愛国主義>と<国粋主義>

タイの未来において障害になっている国境問題はカンボジア国境にあるプリア・ヒビアだろう。元々は2505年の国際司法裁判所のプリア・ヒビア遺跡はカンボジア領であるという判定で解決していたはずなのが、46年もたった2551年にクーデター以降に勢力を伸ばしたパンタミットを中心とする自称愛国主義者により国内政治の対立相手を攻撃するための政治ゲームに利用され国境問題は混乱して一時はカンボジアとの武力を使った小競り合いになったというわけである。

2553年のプアタイ党の下院選挙勝利以降ますます勢力を衰退させてきた自称愛国主義者ではあるが、カンボジアが国際司法裁判所に対して訴えている2505年の判決において曖昧であった周辺地域の領有権の再確認への判定に向けた両国の口頭における声明が4月15日から19日に国際司法裁判所で行われる機会を利用して自称愛国主義者は国民の愛国主義を再度鼓舞してできればプアタイ党政権を覆したいようである。

46年もの間静かだったプリア・ヒビア遺跡1帯のタイーカンボジア国境が兵隊と住民の死亡という武力衝突を巻き起こした原因は、2551年にカンボジアがプリア・ヒビア遺跡を世界遺産登録しようとした時が始まりで、その時のサマック政権のノッパドン・パッタマ外相は国境上の曖昧な4.6㎢或いは3,000ライを緩衝地帯とすることでカンボジアと共同声明を出した。この時の政権の考えでは曖昧な土地を国際法で判定するよりは緩衝地帯にしておき両国で開発したほうが地元の人達のためになると考えたのだろう。しかしタイ国内ではこの共同声明が憲法190条に違反するという憲法裁判所の判決でノッパドン外相は辞職することになった。この点がバンコクに居る一部の自称愛国主義者の恐ろしいところで地元の平和と発展を無視した愛国主義は武力衝突を導き出し多数の住民が避難するということになった訳である。バンコクの一部の自称愛国主義者にとって遠く離れた国境地帯の発展など他人ごとで、それより愛国主義を利用して自分たちの利権を守り通すことに必死なのだろう。国境地帯に住む住民はタイ語とカンボジア語のバイリンガルであるし親戚は国境を超えて広がっていることを考えると国境線は地元の人達の頭にあるもので遠く離れたバンコク住む人達の頭の中にはないと考えるべきだろう。また愛国主義は心の奥に秘めておくべきもので旗印にするものではない。もしそうするなら武力衝突が起こり困るのは地元の人達だけである。

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