2012/04/06

<จุฬาราชมนตรี>กับ<สมุหนายก>

<政府が任命するタイイスラムの宗主>と<文官の最高官名>

ナタウット・サイグア農業副大臣が言ったように戦車から降りたソンティ・ブンヤラットクリン議員はค.ม.ช.国家安全評議会議長からก.ม.ธ.ปรองดอง和解委員会の委員長へと180度の転換を果たしたようである。この転換について本人は軍人時代に修士学位をとった社会学の勉強でタイ社会が友愛とつながりを持った社会になって欲しかったと語っている。また現在も続けているラームカムヘーン大学での博士課程が政治学というのも転換に影響しているのかもしれない。陸軍を大将の位で退官したあとの2552年には最南部のナラティワート、ヤラー、パッタニーを地盤とした政党マートゥプーム(故郷党)を立ち上げ2554年の選挙で下院議員になっている。今回の下院議会内にできた和解委員会の委員長には自らの意思でなったようである。

ソンティ・ブンヤラットクリン議員はイスラム教徒としては初めて陸軍司令官になった人で、おそらくは南部出身であると思っていたのだがタイ中部のパトゥムターニー出身であるということである。先祖はアユタヤ時代のエーカートッサロット王(治世2136-2144)のときにアユタヤに来たアラビア人でソンタム王のときに貿易で巨富を築き上げたチェークアフマッドだということである。この家系からは<จุฬาราชมนตรี>と<สมุหนายก>という要職に就く人が何人もでてバンコク時代にっても有名な家系は続いているということである。

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