2013/05/15

<การวิสามัญฆาตกรรม>


<超法規的殺害>

<超法規的殺害>とは係員が公務執行中に人を殺害するに至ることであるとともに、司法手順を経ずに殺害したことを言う。タクシン政権のときに起こった麻薬制圧戦争で麻薬取引業者が殺害されたことをこのように呼ぶようである。

民主党はインラック首相のスピーチがタイの民主主義を歪めているとして世界に向けて声明を出したが、要約するとタクシン元首相を悪者に仕立てあげるという常套手段で違っているのは悪者をやっつけるために軍が介入したという認識に変わったということのようである。軍そのものが革命・クーデターと認めているのに民主党はお節介にも介入という言葉を使いクーデターという言葉は使いたくないようである。どのような教育を受けてこのようなことを考えることができる頭の構造になったのか、中心人物は海外で教育を受けたせいか、海外に長くいたせいでタイのことは理解できない頭の構造になったのだろう。

この声明についてはタクシン元首相のタイにおける顧問弁護士ノパドン・パタマが反論しているが次のとおりである。

1.タクシン元首相と家族は政界に入る2537年前に600億バーツ以上と考えられる財産を持ってい。2537年に政界に入った時は外務大臣になった訳であるが、2544年と2548年にはタイで初めての連続2期に渡り選挙で勝つ首相になった。家族が持ち主であった通信業は独占企業ではなく競争相手がいたし通信業の利権は2532年に法律に基づいて取得したもので民主党が言う軍事政権から違法に取得したというのは虚偽である。

2.タクシン元首相が麻薬制圧戦争で数千人を超法規的に殺害したという民主党の非難は民主党の想像に基づいた非難でポーポーソー(Office of the narcotics control board)の公式声明では死者は50人だけで2,500人を言う数字はその年の全体の事件による死者数で、タクシン元首相は麻薬取引者を殺害する政策をやったことはないし、法律を守る係員に誰かを殺害するようにと命令したこともない。

3.2549年のクーデターは1,400万人の国民に支持された選挙で選ばれた民主主義政権であるタクシン政権を倒すために企てられたもので民主党がクーデターを擁護する口実は恥以外の何物でもない。クーデター勢力は民主主義憲法である2540年憲法を破り捨てた上にパンタミットと保守層と図って民主主義でない2550年憲法を押し付け未だに続けている。民主党がクーデターを軍による介入と言い換えたのは、クーデターが民主主義を破壊し2550年憲法を国民に無理矢理に選択させたことを考えれば恥ずかしい行為であるといういがに言いようがない。

4.国民は2549年のクーデターを否定しているにもかかわらず民主主義に抵抗する勢力は、2550年のパランプラチャーチョン党が勝った選挙ではクーデター勢力を使い選挙妨害をした上にパランプラチャーチョン党が政権を取るとパンタミットを使い空港閉鎖等で混乱させてから遂には憲法裁判所を使ってサマック・スントラウェート政権を倒したわけである。

5.2551年の憲法裁判所によるパランプラチャーチョン党解党の判決では、党幹部の一人が選挙前に地方のリーダーに2万バーツを渡したという口実で解党して109人の政治家が5年間も公職に付けないという判決を出したわけである。

6.民主党が言うサマック・スントラウェート政権とソムチャーイ・ウォンサワット政権が恩赦法を成立させてタクシン元首相の罪を白紙に戻して帰国させようとしたという非難は虚偽である。

7.2551年のパランプラチャーチョン党の解党後には沈黙のクーデターが起こりパランプラチャーチョン党員の一部と他の政党を強制的に民主党を支持させアピシット政権ができ、正当性のない政権に反対するプアタイ党と赤服集団の抗議行動が起こったわけである。

8.タイ国民は民主主義と法の原則を望んだだけで各地から集まってきた赤服集団は、クーデターそのものとそれ以降のダブルスタンダート制度また不法な政権であるアピシット政権に抗議するために解散選挙を要求したがアピシット政権の実弾を使った弾圧により多くの国民と兵隊が犠牲になった。

9.タクシン元首相に対する刑事訴訟とテロリズム容疑すべては、クーデター以降に設立されたタクシン元首相に政治的に対立するメンバーで構成されたコートーソー(国家損失行為調査委員会)により告発されたもので、法の原則に則ったものでないということは明らかである。そして刑事訴訟ではラッチャダーピーセークの土地売買に関する訴訟が有罪になっただけである。また赤服集会を引き起こしたのがタクシン元首相であるというのは間違いで赤服が主張する民主主義とすべての国民に対する公平ということに賛成して応援しただけである。テロリズムの罪については赤服の集会にビデオリンクで参加したタクシン元首相が言った「もし軍が赤服の集会に対して強硬な集団をとるようなら赤服集団は各地の県庁に集まるように」と言っただけのことである。

10.2554年の下院選挙でプアタイ党は500議席中の265議席を獲得してインラク首相が首相の座についた正当な政権である。政策においてはタクシン元首相が考えプアタイ党が実行する政権である。民主党はインラク首相が三権分立という原則を無視して裁判権に介入していると非難しているが、実際は国会の立法権を犯そうとして憲法を勝手に解釈しているのは憲法裁判所である。


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