2008/11/10

<ピー>と<ノーン>

<พี่>กับ<น้อง>

サイアムのパラゴンができるまでスクムウィット通りのエンポリウムがハイソーなデパートだったような気がする。パラゴンができてから初めて気づいたのだが、バンコクにはパラゴン族、マーブンクローン族、モーチット族がいるのではということだった。特にマーブンクローンで用事がありセントラルプラザへ行くときはよくパラゴンを素通りした。その時にマーブンクローンとパラゴンの客の違いに気づいた。モーチットには年に何回も行くわけではないが、行くと印象に残るのはバンコクとは少し違うなという感じで、これは地方へのバスターミナルなので当然のことではあるが、しかしこの三か所の違いは歴然としている。

タイにはピーとノーンという言葉で呼び合う習慣があり、名前の前につけたりそれだけで呼び合ったりする。
初めに説明されたのは年齢の違いで呼び分けるということだった。しかし長くタイに住み見ていると年齢差ではなく階級差であることに気づいた。パラゴン族がモーチット族を年上でもピーと呼ぶことはきわめてまれである。

パンタミットはこの棲み分けを続けようとしているのは事実であるが、それともバンコクが華僑の街であることを鮮明にさせようとしているという意見もあるが、これはタイ人が古代中国の越の国、楚の国から来て、その時代から中国人を交り合っていたことを考えるとないだろう。有名な言葉にタイに純粋の華僑がいないように純粋のタイ人はいないと、その通りだろう。

2008/11/09

<市民的不服従>

อารยะขัดขืน


アラヤカットクーンと言いパンタミットがよく使う言葉である。おそらくガンジーの非暴力抵抗の影響を受けているのだと思う。ガンジーはイギリス植民地政府に対する抵抗をサティヤーグラハ Satyagraha と名付けた。ガンジーによる造語で「真理をもとにした抵抗」という意味である。パンタミットの人たちは真理、道徳、倫理という言葉が好きなので採用したのだろう。
アラヤはアーリヤ文明と同じでタイにはインド文化が多く取り入れられているので文明のことをアラヤという。その反対で獰猛、残忍のことをタミンと言い、これはタミルから来た。タミルはアーリヤ族の拡張によりインド南部に移動した民族である。タミルという言葉がよく使われたのは、1992年5月のクーデーター政権と市民との衝突で死傷者が出た事件をプルサー・タミン「残酷な5月」と言うようになった。

今回の10月7日の出来事をすでに「残酷な10月」という表題を付けた新聞があるが、未だに政府の二つの調査委員会が結論をださないのに、このような表題を付けるのは早すぎるという気がする。そして8月26日からNBT襲撃と官邸への占拠から始まり、9月2日の反独裁連合との衝突で死傷者を出した事件を含めて「残酷な10月」というのでは間違いはないだろう。

訂正  8月から事件は起こっているので「残酷な10月」はおかしいので、「残酷な雨季」に変更します。タイ語ではナーフォン・タミンと美しい音になります。実際起こっていることは、タイ人の微笑みを失くしてしまう悲しい悲しい出来事ですが。

2008/11/08

<同盟>と<連合>

<พันธมิตร>กับ<กลุ่มแนวร่วม>

พันธมิตรประชาชนเพื่อประชาธิปไตย

<同盟>
(国家・団体・個人が)共通の目的を達成するため、
同じ行動をとることを約束すること。
また、その約束によって生じた関係。  大辞林より
例 民主青年同盟、部落解放同盟

กลุ่มแนวร่วมประชาธิปไตยต่อต้านเผด็จการแห่งชาติ

<連合>
二つ以上のものが組み合わさって一つのグループになること。  大辞林より
例 経済連合会、主婦連合会

パンタミットを連合と訳す記事があるが辞書を見ると少し違うような気がする。
では同盟なのかというとこちらのほうが近い気がするがパンタミットと
そのまま書いたほうがいいような気がしている。

<พันธมิตร>กับ<กลุ่มแนวร่วม>