<2557年の新年には必ず帰ってくる>
10月31日の国会下院議会での恩赦法第二、第三読会に出席していたチューウィト・ガモンウィシット ラックプラテートタイ党首は自身のフェースブック“チューウィトI'm No.5"で議場での様子を次のように報告している。この中で興味深いのはモップとはお金のことだということでお金がないと何もできないということである。サームセーン駅にいる民主党モップにどれだけのメシ代が必要なのか、1食が50バーツとして50X6,000人X7日間=210万バーツと1週間だけでこれだけ必要になるわけである。2549年のパンタミットモップのときはタクシン元首相の独り占めに反対する企業家、資産家が資金提供したのだろうが、現在の状況では彼らも政府の「2020年タイの未来」等の大型プロジェクトの方に魅力を感じているはずである。
タイトル<2557年の新年には必ず帰ってくる>フェースブック“チューウィトI'm No.5より
10月31日の夜の議会は眠くてしんどくて10杯のコーヒーを飲んだが未だに投票は行われず、議場で居眠りをしていると盗み撮りをされて公表されると困るので、ソファーがある喫煙室に行くとプアタイ党の議員が大勢寝る用意をし始めていた。
僧が托鉢に出る前でまだ鶏が鳴き始めない時に恩赦法の第三読会は議会を通過した。そしてタクシン学校は全て完了した。タクシン元首相は政治権力、国家権力そして民衆がそろえたこれ以上にいい機会はないということでどうしても帰国したくなったのだろう。モップウルポンはアマチュア半分プロ半分で資金もなくそれほどでもないし、民主党のモップサームセーンはにぎやかだが人生映画と同じで長く続くだけだろう。モップに来るのは気分、愛情でも必要なのはお金ということだろう。モップが動けるのは腹次第ということでステープ下院議員は集会場に着くやいなや食事を出すテントにかけつけてモップを惹きつける食事があるのか、そこは長年の経験ですぐにチェックしたということである。ミュージックもないとモップを長く引きつけられないので「バーンラジャン」というアユタヤ時代の愛国村の歌を所望するが、この歌に出てくるバーンラジャン村はビルマとの戦いで全滅したのでどうかなとあの難しい顔をさらに難しくしたようである。